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ゲルニカ [芸術]

 

 

 ラファエル・アルベルティさんはピカソさんと旧交を温めているそうです。ピカソ作品についての心情を残しています。


    ゲルニカには次の文が添えられています。
自由のもっともの鋭い叫びを、きみは「ゲルニカ」によって挙げた。
自由は、残酷さと卑劣さをもって虐殺されて、横たわっていた。
きもをもってその死を告知させあの仕掛けられた戦争を、
ただやめさせるという目的だけで非難させたのは自由なのだ。




   <ゲルニカ制作にあたってのピカソの言葉>
ゲルニカ爆撃と大虐殺は世界の人々とりわけ芸術家達に激しい衝撃を与えた。
当時パリにいたピカソは翌々日にその惨劇を知り、さっそく「ゲルニカ」の制作にとりかかった。ピカソはゲルニカについて以下のような言葉を残している。
牡牛はファシズムでなく、残忍性と暗黒である。
馬は人民をあらわす。
ゲルニカの壁画は象徴的寓意的なものである。だから、私は馬や牡牛やその他をつかったのだ。
この壁画は限定された表現、一つの問題の解決のためのものだ。だから、私は象徴的な表現を用いたのだ。



 ゲルニカを再現した人達にお話をききました。
スペインは王制でした。でも王にはあまり実権はなかったそうです。
左右対立で左が選挙で勝利して共和制に移行しました。
1936年モロッコでスペイン国軍の一部が反乱を起こします。右翼のフランコ将軍がクーデター宣言します。これにより左と右の内戦がはじまったそうです。軍には右がかなりいて各地で共和国政府に反乱起こします。政府は狼狽して、左側は市民らが武装して対抗したそうです。
(軍隊て国民まもるんじゃなかったんですね。軍隊が守るのは、国をまもるという大義名分で、軍を守るんですね。よくありそうなお話かも? )

 市民により軍を鎮圧したそうですが、類は友を呼ぶのかヒトラー・ムッソリーニが右翼勢力を強力に支援しはじめたそうです。
「no pasaran] これが反ファシズムの合言葉になったそうです。市民を攻撃する国軍、そしてドイツ正規軍・イタリア正規軍相手にたたかったそうです。
この内戦はあまりにも悲惨だったようです。
  右翼が政権掌握して、ファシズム政治がはじまったそうです。治安維持となえて人権制限など始めたようです。ファシズム政権のリーダーのフランコ将軍の死去で、このファシズム体制はおわったそうです。

こういうお話でした。




市民まもる軍隊でなく、市民を監視したり銃むけるお話は世界であるようです。治安維持名目に自由奪う・人権うばうのも後を断たないようです。途上国どころか先進国でも、起こりうるようです。

 誰もが自分らしく生きられる、安心して生きられる世の中は来るのでしょうか?


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