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権力の館 [学問]

 

 

戦後の首相経験者を自宅・別邸など建築からみていくという御厨さん(ミクリヤ)のお話です。

 

大磯に吉田元首相邸があるそうです。どのお部屋からも富士山がみえるそうです。二階は全部和室で、二階では和服でくつろぐそうです。彼はワンマンだったらしいです。気に入らないとすぐ首にするそうです。唯一そんな吉田さんとうまくやれた建築家がいました。その建築家が、エレベータつける・平屋にするとかしないと老後は大変ですよと進言したそうですが、彼は一蹴して「いやこれでいい。這ってでもいく」と言ったそうです。晩年、本当に這って二階にあがったそうです。

館には講和の門があります。かならずここを通らないと中にはいれないようになっています。吉田さんの戦後講和した自分へのこだわりがあるのでは?ともいわれてます。一階はサンルームのような空間があり、そこはばらで埋められていたそうです。広大な立派な庭もあります。このお手入れに年3000万もかかるそうです。これは西武が管理していたそうですが、もう西武は維持できないそうです。そのうち取り壊されるそうです。

{3000万!これだけあればどれだけの人がすくわれるかなあ。でもこのおかね無駄でしょうか?よくも悪くも戦後日本史ではずせない大物の館です。日本の歴史の一ページなんです。でも3000万・・・}

 

 

鳩山一郎御殿

鳩山さんの館は吉田さんのと、対照的で開放的なものです。一階はホールとなり、庭と一体になっています。まさしく映画にでてくる、西欧セレブ貴族のイメージです。ここでパーティができます。高台にあり、昔は富士山がみえたそうです。 現在は友愛大学が管理していて貸し出しているそうです。

 

御殿場岸信介別邸

なぜ御殿場に館?と考えると、このあたりは経済界の有力者の別邸があったそうです。岸さんがこのんだゴルフ場もあります。不思議な事にでもこの館は総理やめた後1969年に建てたそうです。隠居?いや、そうでなさそうです。建築家の方はその政治家の意図を反映させようとしたそうです。だからこの御殿場別邸を見ていくのは興味深いものだそうです。どうやら岸さんは返り咲きを狙ったようです。戦犯の岸さんは憲法改正狙ってたそうです。 結局返り咲くことはありませんでしたが、岸さんの意思は安部さんが引き継いでいるそうです。

御殿場インターできるのみこしていたそうです。東京から高速でこれるようになります。岸さんはあらゆることに合理主義だったそうです。立派な庭もあるんですが、庭には興味なかったようです。庭でゴルフの打ちっぱなししていて、あちこち穴あいたりしているそうです。あくまで何かをするためのものなんです。東京御殿場の距離が打つ手を考える時間だったようです。

 

小泉家

館でなくただの家なので、研究してもしょうがないそうです。つまらないものです。小泉さんの政治はテレビだそうです。かれには館は不要なのかもしれません。

 

中曽根別荘

旧日の出村にある日の出山荘です。レーガンさんがきたことで有名だそうです。昭和30年代にとりかかったそうです。ビジュアル的だそうです。政治ノートとかここで作ったそうです。バックは自然竹林で、建て増しする前のもともとのは古い江戸時代の家だそうです。中曽根さんはここで酒くみかわし側近と打ち解けたと言ったそうですが、側近はとても寒くて(囲炉裏しかない)酒飲まないとたまらなかったと言ったそうです。中曽根さんは時々ここに帰ってきたそうです。そうしないと権力の魔性にとりつかれると思ったそうです。 今は地元に払い下げられて公開されているそうです。

 

宮沢邸

宮沢さんは権力に懐疑的だったようです。「総理は山手線の運転手」とかつて言いやじられたそうです。時期・出番きたらやって、終わると降りるんです。軽井沢にありますが、他の政治家と離れたところに建てました。戦犯である岸内閣を嫌い、ここで吉田内閣の記録つくりをしていたそうです。友人は呼びたいが政治家は呼びたくないという所だったようです。

宮沢さんはワシントンポストとか海外の英語新聞をよんでいたそうです。政治記事が御用メディアの日本の新聞は読売も朝日もどこもみなかったそうです。英語の書物とか新聞がそろっていたそうです。たずねると、英語紙とかかたてに持っていて、いやみなやつとおもわれたこともよくあるとか。

小渕内閣で前代未聞の首相経験者の大蔵大臣就任の依頼の電話はここにかかってきたそうです。

 

北海道庁

明治の庁舎の横に今の庁舎があり見事に対比されています。明治庁舎は威厳にみちていました。

 

沖縄

復帰前高等弁務官がいて国王なみの強い力があったそうですが、写真でみる限り外観はアパートです。(今米軍宿舎だそうです)沖縄が帰ったとき、知事は黒川さんに依頼してできた庁舎は「共生」をおもいたてられたものだそうです。

 

余談

明治天皇は、生涯望郷の念を押し殺して耐えていたそうです。あるとき侍従が「陛下なぜ、京都通るなら、少しでも立ち寄ろうとされないんですか?」と聞いたことがあるそうです。「君はわかってないね。おりてしまえばもう東京には戻れないよ」 明治天皇にとっての家・館はあくまで京都だったようです。御所だったようです。明治天皇は東京に拉致されたと感情では思っていたようです。東京は江戸で、皇居はただのお城なんです。我慢しなくてはいけないと言い聞かせていたようです。

昭和天皇は終戦の時、皇居でる話になったとき、「でてもよい」と発言されたそうです。でも行き先は東京の他のところで、京都は嫌だったそうです。

 

 

いままで空間・距離には意味があったようです。どこにどういうものを作るのかは大切だったようです。岸さんは距離をあけました。東京から人が自分のところにくるあいだ、どうするか思案したそうです。相手も岸さんにどう話を切り出すかかんがえてたようです。今IT化で空間・場所の意味が薄らいだりかわってしまったようです。それに乗っかった・拍車かけたのが小泉さんかもしれません。ホリエモン同様時代の申し子なのかも?

政治家が別荘・豪邸なんていうと反感もつ人もいるでしょうが、考えようによっては政治家には館が必要なのかも?  格差ばんざい!競争ばんざい!と唱える人がすくなくないようです。作用があれば副作用があります。競争ばんざい!で壊れてしまった社会・それを立て直そうと、人権制限して国権大事なんていう戦犯ものの考えが出てくるのが、今そういう側面があります。今多くの人がゆとり失い、大変らしいです。今必要なのは、一部でみられる道徳おしつけ、人権制限でなく、ゆとりなのかもしれません。効率でなく、無駄・贅沢・権力の象徴ともいわれる館が政治家には必要なんでしょうか。


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