残留孤児 [社会問題]
強行採決繰り返し、「強引だ!」「実行力がある」とかなにかと騒ぎになった安部さんです。これらの影に隠れていますが、中国残留孤児支援がすすんだそうです。
残留孤児は戦争抜きには語れません。当時は国策で満州国移住がすすめられたそうです。今とちがい愛国心教育や愛国心社会が強いので国策は大きな影響与えたでしょう。原告の一人のAさんはおとうさんが繊維会社で働いていました。国策に従い会社は満州に進出しました。Aさんのおとうさんは家族連れて満州にいくことになりました。
これAさんの自己責任ではありませんよね!国策です。さらに会社の方針です。今の時代でも会社の意向で海外暮らして当たり前のようにありますよね。
そうして戦争になり日本は敗戦です。軍隊ひきあげて現地の日本人は取り残されました。Aさんは悲惨な境遇のなか次々家族を失いとうとう一人ぼっちになりました。そうして売り飛ばされてしまいました。
帰りたいけど自分個人の力ではどうしようもなかったそうです。学校もろくに行けませんでした。中国語は覚えましたが、読み書きができません。日本語もどんどん忘れていきます。日本政府が自分達をさがしてくれるというのは「妄想論」でしかありませんでした。
72年の歴史的な国交回復でやっと帰国に向けて動き出したようです。でも要件厳しくさらに帰国には時間がかかったそうです。残留孤児は「自己責任」でなく、社会的責任のようです。不幸がたびかさなりこんなにも遅い帰国になったようです。 日本政府、中国政府、世界情勢とか政治の都合の犠牲者なのかもしれません。
うちはなぜ裁判おこしたのか理解できませんでした。でも原告の方や弁護団の方の一部の方にあって話しをきき少しだけわかったような気がします。帰国しても支援が充分ではなく、日本社会で自活できるだけの能力を見につけることができませんでした。また社会の受け入れ態勢も不充分でした。そして最近とりあげている社会的障害です。中国で「日本にかえれ」日本かえると心ない人々がいて「中国に帰れ!」と排除してきます。
うんと努力してなんとか職を手に入れても、定年まで長くはありません。そう年金の払込期間がたりないんです。普通でも今は年金受給が不足なのにこれでは悲惨な状況なこともあるようです。
生活保護率は60%こえています。今自己責任世論で支給がきびしいです。新しい家電品は買えません。貯金できません。「当然だ」という意見はすくなくありませんが、これでは生活保護からぬけだすのは難しいんです。生活保護うける後ろめたさかかえていながらもなんとかぬけだしたい。でも貯金できないのでその日暮でそこから抜け出せない泥沼のようです。
この悲惨な状況から抜け出すのに、長い時間が必要でした.安部さんとの面会はおおきかったようです。裁判費用もない原告団を支援した市民の有志、余分に手間のかかるお仕事引き受けて、走り回った弁護団などの人達の努力も見落とせません。
これまでの生活保護と違い年金を収入とみなさない、貯金認めるという内容の法律作ってくれました。あまりにも長かった戦後処理です。これが施行されてうまく運用されて初めてこの人達の戦後が終わるんです。
憲法改正もいいけど、もっと先にやらなきゃいけない戦後処理があるんですね。残留孤児の戦後処理は終わるめどがたったようです。でも沖縄問題とか残っています。沖縄の戦後はまだ終わっていません。
政府は財政支出をしてくれます。法案作ってくれました。後これを生かす運用がいります。現場の方の力も必要です。市民一人一人のこころがけも必要なこともあるでしょう。「中国にかえれ!」でなく「同じ日本人・同じ人間」なんです。寛容な社会で温かく受け止めたいです。
政府はつけた予算をバラ巻きにしてしまうか、有効ないいものにするかは市民の心がけにもかかっているかもしれません。
参考にどうぞhttp://blog.so-net.ne.jp/life-ayu/2008-01-07
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