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大奥

昨年はドラマ「篤姫」が話題だったようです。観た人もおおいんでしょうねえ~。江戸時代て明治以降の近代国家(大日本帝国)と大きくちがったらしいです。 時々ドラマででてくる大奥てどんなのでしょう?某大学での大奥研究発表がありました。

江戸城の本丸の中に大奥はあったそうです。大奥には御屋敷というのがあってそこだけは男性役人が詰めていたそうです。御屋敷と奥女中の居住区との間には七つ口がありそこを通って出入りすることになっていたそうです。

ドラマ「大奥」にもでてきた鈴は中奥と大奥を結ぶ廊下にあったそうです。「ぐわんぐわん」と重い響きだったらしいです。手元にある地図ながめていると、あまりにも複雑でわけわからないです。うっかり入ったら迷子になっちゃうわ・・。

大奥にはたくさんの女性がいたそうです。
上臈(じょうろう)・・一番格が高いそうです。相談役みたいな感じらしいです。
御年寄(おとしより)・・表の老中にあたるそうです。
御小姓(おこしょう)・・・御台所のそばで給仕
表使(おもてづかい)・・・外交官
御右筆(おゆうひつ)・・・文書管理
他にもいろいろあったそうです。

庶民でなく、江戸城での女性てどうだったんでしょう??
当時の女性にとって大奥奉公は礼儀作法・言葉づかい学ぶチャンスで嫁入りに有利な経歴になったともいわれているらしいです。

落語には、庶民に嫁ぐ、こういう作法みにつけた女性がでてくるものがあります。仲人さんが「きりょうもよく申し分ないけど一つだけ傷がある」といいます。「奉公してたので・・・」と言います。ながやの貧乏男性が「そのくらいかまへん」と言い、めでたくむすばれるんです。


出会って名前を尋ねます。すると「なに、わらわの姓名なるや?」と女は答えます。当然、通じません。2人の話がかみ合ってないのがおもしろいです。確かお題は「えんよう泊」だったと思います。



篤姫さんは、結婚してわずか1年7ヶ月で夫(将軍家定)を亡くしています。次の家茂将軍と和宮が祝言挙げたときはまだ28だったそうです。
公家文化の和宮と篤姫改め天しょう院の武家文化の衝突もあったらしいです。幕末戦争おきてからも、実家に帰ること拒み、徳川の一員として徳川家救済に尽力したそうです。

和宮は政略結婚と言われてるそうですけど、夫婦仲がよかったらしいです。
宮中と大奥では異なる文化で風習が違うために、思わぬ誤解生じたり苦労もしたらしいです。


平和が崩れて人々が殺しあう動乱の時代にあっても、みんな懸命に生きたんでしょうか。




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