椅子とりゲーム [経済]
2007年日記リストはこちらをどうぞ http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2008-03-27
2008年日記リストはこちらをどうぞ http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2008-03-28
2009年日記リストはこちらをどうぞ http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2009-02-22
初めての方は、コメントくださる前にまず、はじめましてをごらんくださいね。
http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/archive/c35382141-1
村野瀬さんのとこにありました。
以下村野瀬さんブログより
「自己責任論」をどうみるか
労福協の集会で湯浅誠氏が講演 いす取りゲームを例に考える
連合通信・隔日版 2009年6月11日付 No.8201 p9~10
(前略)
湯浅事務局長はいす取りゲームを例にあげる。
音楽が止まった瞬間、十人が八つのいすに座ろうとする。しかし、結果として必ず二人は座れない。このとき人々が何に注目するかだという。
「座れなかった二人に注目するか、それともいすの数に注目するか」
二人に注目すれば、座れなかった原因はいろいろと思い当たる。音楽をちゃんと聴いていなかった、太りすぎていて動きがにぶかった、朝食を食べてこなかった、などである。
「本人の問題を探そうとすれば必ずなにか出てくる。完璧な人はいないわけで、だから自己責任論というものは必ずしも間違いとは言えない。無駄遣いをしたことや怠けたことはだれにもあるはず」
たとえいすの数が一つになってもこの考え方は通用しうる。座れなかった九人にはなにか問題があったのだろう、努力が足りなかったのだろうと。
しかし、本人に自己責任を問い続けるとどういうことになるか。「本人はうまくいかなかったのは自分のせいだと思っているから、自己責任だよといわれるとそれ以上なにも言えなくなり黙ってしまう。なぜうまくいかなかったのかの問いと答えを、本人の中に閉じ込めることになる。一種のいじめだ」
綱引きは続く
一方、いすの数に注目する見方もある。そもそも数が足りないのだから、初めからだれかが座れないのはわかっていること。いすの数、つまり社会の側に問題があるのではないかという見方ができるかどうか。
例えば、正社員になれなかったことについて、本人の努力不足を問題視するのか、それともまともな正社員の仕事が減っていることを問題にするのか、というふうに置き換えて考えてみることもできる。
要は、座れなかった本人に注目するか、いすの数に注目するかの綱引きなのだというのが湯浅氏の意見。この綱引きはたぶん決着がつかずに今後も続くだろうと見る。はっきりしているのは自己責任論では世の中は良くならないことだ。だから、いすの数に注目する人をどれだけ増やしていけるかが大事なのだ、と湯浅氏は強調した。
以上 なるほどねえ~。椅子の数か2人に注目するのかですか。
椅子の数同じならゲームしようとおもいませんけど
話にならないので、2人に注目します。この努力足りない2人を排除してゲームしたらどうなるでしょう?努力する・有能な8人でゲームするんです。でもやはり座れない人がでてきます。以前とりあげた2:8理論でみてみます。2を排除したらまた次の2がでてくるんです。
戦前ドイツが不道徳?だとか愛国心云々とかで次々排除していった理論と同じようになりかねないかも?
(過去の日記に書いているのでどうぞ)
う~ん・・・わかんないのでちょぃ変えます。
1から16までしだいにゲームのルールが変わっていきます。中途参加者がいて・椅子もふえます。
1いつのころか椅子とりゲームが始まりました。まもなく、ぬいた2つの椅子を残りの8つの椅子のどこかにつけましょうということになりました。つまり勝てば一度に2つ手に入る人がでてきたんです。
2またゲームはじまり、椅子が2つの人・1つの人当たらなくなった人がでてきました。
(最初は10人ですが、次第に参加者は増えていきます。それにあわせて主催者は増えた人より2つ少なく椅子を増やしていきます。)
3椅子をいくつももっている人達が言いました。私達はいくつもあるのに負けたら1つの人と同じに全部なしは不公平じゃないの。まけたらもっている椅子の数に関係なく一律全員1つ取り上げる事にしましょうよ。
4またゲーム再開です。5つもっている人はまけてもまだ4つですが、1つの人は終わりで排除されます。
(数の多い人は負けても挽回できる機会がおおくなります。1つの人は一度でもまけたら終わりです)
5椅子を2つ賭けられるようにしましょうよ。2つかける人が一人いたらいすは1つ余分にとりあげになるので3つなくなります。
これで 、たくさん賭けれるひとは、たくさん椅子がもらえるチャンスができます。
6参加者がどんどん増えて主催者も椅子をどんどん入れてくれます。でも最初は1個です。すでに数10脚椅子をもっている人がいますが、その人達も最初は1つだったから機会は平等ということになりました。
7スゴイ数もっている人・1つしかない人とかかなりの格差になりました。
8ゲームのグループもいくつかあるんですが、あるグループは1個しかない人達が抗議して、全員椅子が2つで抗議のリーダーだけ3つになりました。椅子は全員あります。
9それをみた別のグループでは椅子を100脚とか持つ人が1つしかない人に1つあたえて抗議するのやめさせました。
10みんなが2つのグループは、めんどくさいとゲームすすめるのやめてしまいました。
11それをみたべつのグループは椅子がなくなる人に1つわけるのをやめてしまいました。
12ゲーム続けるグループは何百脚何千脚何万と椅子を持つ人・1つしかない人とものすごい格差がひらきました。
10脚・20脚しかない人はすぐ1つになるようになりました。
13それでもゲーム続けなきゃいけないからと3つしかない人は一生懸命です。
14みんな必死で目が血走ってきました。誰も信じられない・自分が生き残るために必死です。人をみて悪口あびせてゲームからおいだすようになりました。椅子を没収できるからです。
15参加者はたくさんいます。主催者はもうてもちの椅子がほとんどありません。椅子をたくさんもっている人が全員1つ主催者に椅子渡そうと言い出しました。1つしかない人は排除されてしまいました。
16椅子の少ない人は人に「悪」「不道徳」とかのレッテルはりゲームから追い出したりして椅子をとりあげ続けています。みんな自己責任で自分の椅子確保に必死です。道徳云々で追放されないように常に警戒しています。みんな疲れています。
そんなある日
1一人の人が引退した親から椅子と引き継ぎました。5つあったんですが、優しい性格が災いしてあっという間に3つになりました。
2ゲームで唯一彼女に優しい言葉を掛けてくれた人が1つしかない椅子をとりあげられることになりました。彼女は3つしかない椅子の1つをあげました。「一緒にいたい!」と。
3それをみた10脚ある人が排除されようとする人に2つ提供しました。
4100脚持っている人が10脚主催者や椅子がなくなる人に提供しました。
5つぎつぎと提供しようというひとがでてきました。
6主催者に椅子のゆとりができました。全員2つは必ず椅子がもてるようになりました。まけても1つになると主催者か周囲から1つ必ずもらえるようになりました。
7参加者より椅子の数がわずかに多くて人は移動できるようになりました。
8数百持っている人もいるけど、少なくとも全員かならず2つはあります。
9人を叩くようなことはなくなり、目つきも優しくなり、わきあいあいとゲームを続けるようになったとさ。
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以下村野瀬さんブログより
「自己責任論」をどうみるか
労福協の集会で湯浅誠氏が講演 いす取りゲームを例に考える
連合通信・隔日版 2009年6月11日付 No.8201 p9~10
(前略)
湯浅事務局長はいす取りゲームを例にあげる。
音楽が止まった瞬間、十人が八つのいすに座ろうとする。しかし、結果として必ず二人は座れない。このとき人々が何に注目するかだという。
「座れなかった二人に注目するか、それともいすの数に注目するか」
二人に注目すれば、座れなかった原因はいろいろと思い当たる。音楽をちゃんと聴いていなかった、太りすぎていて動きがにぶかった、朝食を食べてこなかった、などである。
「本人の問題を探そうとすれば必ずなにか出てくる。完璧な人はいないわけで、だから自己責任論というものは必ずしも間違いとは言えない。無駄遣いをしたことや怠けたことはだれにもあるはず」
たとえいすの数が一つになってもこの考え方は通用しうる。座れなかった九人にはなにか問題があったのだろう、努力が足りなかったのだろうと。
しかし、本人に自己責任を問い続けるとどういうことになるか。「本人はうまくいかなかったのは自分のせいだと思っているから、自己責任だよといわれるとそれ以上なにも言えなくなり黙ってしまう。なぜうまくいかなかったのかの問いと答えを、本人の中に閉じ込めることになる。一種のいじめだ」
綱引きは続く
一方、いすの数に注目する見方もある。そもそも数が足りないのだから、初めからだれかが座れないのはわかっていること。いすの数、つまり社会の側に問題があるのではないかという見方ができるかどうか。
例えば、正社員になれなかったことについて、本人の努力不足を問題視するのか、それともまともな正社員の仕事が減っていることを問題にするのか、というふうに置き換えて考えてみることもできる。
要は、座れなかった本人に注目するか、いすの数に注目するかの綱引きなのだというのが湯浅氏の意見。この綱引きはたぶん決着がつかずに今後も続くだろうと見る。はっきりしているのは自己責任論では世の中は良くならないことだ。だから、いすの数に注目する人をどれだけ増やしていけるかが大事なのだ、と湯浅氏は強調した。
以上 なるほどねえ~。椅子の数か2人に注目するのかですか。
椅子の数同じならゲームしようとおもいませんけど
話にならないので、2人に注目します。この努力足りない2人を排除してゲームしたらどうなるでしょう?努力する・有能な8人でゲームするんです。でもやはり座れない人がでてきます。以前とりあげた2:8理論でみてみます。2を排除したらまた次の2がでてくるんです。
戦前ドイツが不道徳?だとか愛国心云々とかで次々排除していった理論と同じようになりかねないかも?
(過去の日記に書いているのでどうぞ)
う~ん・・・わかんないのでちょぃ変えます。
1から16までしだいにゲームのルールが変わっていきます。中途参加者がいて・椅子もふえます。
1いつのころか椅子とりゲームが始まりました。まもなく、ぬいた2つの椅子を残りの8つの椅子のどこかにつけましょうということになりました。つまり勝てば一度に2つ手に入る人がでてきたんです。
2またゲームはじまり、椅子が2つの人・1つの人当たらなくなった人がでてきました。
(最初は10人ですが、次第に参加者は増えていきます。それにあわせて主催者は増えた人より2つ少なく椅子を増やしていきます。)
3椅子をいくつももっている人達が言いました。私達はいくつもあるのに負けたら1つの人と同じに全部なしは不公平じゃないの。まけたらもっている椅子の数に関係なく一律全員1つ取り上げる事にしましょうよ。
4またゲーム再開です。5つもっている人はまけてもまだ4つですが、1つの人は終わりで排除されます。
(数の多い人は負けても挽回できる機会がおおくなります。1つの人は一度でもまけたら終わりです)
5椅子を2つ賭けられるようにしましょうよ。2つかける人が一人いたらいすは1つ余分にとりあげになるので3つなくなります。
これで 、たくさん賭けれるひとは、たくさん椅子がもらえるチャンスができます。
6参加者がどんどん増えて主催者も椅子をどんどん入れてくれます。でも最初は1個です。すでに数10脚椅子をもっている人がいますが、その人達も最初は1つだったから機会は平等ということになりました。
7スゴイ数もっている人・1つしかない人とかかなりの格差になりました。
8ゲームのグループもいくつかあるんですが、あるグループは1個しかない人達が抗議して、全員椅子が2つで抗議のリーダーだけ3つになりました。椅子は全員あります。
9それをみた別のグループでは椅子を100脚とか持つ人が1つしかない人に1つあたえて抗議するのやめさせました。
10みんなが2つのグループは、めんどくさいとゲームすすめるのやめてしまいました。
11それをみたべつのグループは椅子がなくなる人に1つわけるのをやめてしまいました。
12ゲーム続けるグループは何百脚何千脚何万と椅子を持つ人・1つしかない人とものすごい格差がひらきました。
10脚・20脚しかない人はすぐ1つになるようになりました。
13それでもゲーム続けなきゃいけないからと3つしかない人は一生懸命です。
14みんな必死で目が血走ってきました。誰も信じられない・自分が生き残るために必死です。人をみて悪口あびせてゲームからおいだすようになりました。椅子を没収できるからです。
15参加者はたくさんいます。主催者はもうてもちの椅子がほとんどありません。椅子をたくさんもっている人が全員1つ主催者に椅子渡そうと言い出しました。1つしかない人は排除されてしまいました。
16椅子の少ない人は人に「悪」「不道徳」とかのレッテルはりゲームから追い出したりして椅子をとりあげ続けています。みんな自己責任で自分の椅子確保に必死です。道徳云々で追放されないように常に警戒しています。みんな疲れています。
そんなある日
1一人の人が引退した親から椅子と引き継ぎました。5つあったんですが、優しい性格が災いしてあっという間に3つになりました。
2ゲームで唯一彼女に優しい言葉を掛けてくれた人が1つしかない椅子をとりあげられることになりました。彼女は3つしかない椅子の1つをあげました。「一緒にいたい!」と。
3それをみた10脚ある人が排除されようとする人に2つ提供しました。
4100脚持っている人が10脚主催者や椅子がなくなる人に提供しました。
5つぎつぎと提供しようというひとがでてきました。
6主催者に椅子のゆとりができました。全員2つは必ず椅子がもてるようになりました。まけても1つになると主催者か周囲から1つ必ずもらえるようになりました。
7参加者より椅子の数がわずかに多くて人は移動できるようになりました。
8数百持っている人もいるけど、少なくとも全員かならず2つはあります。
9人を叩くようなことはなくなり、目つきも優しくなり、わきあいあいとゲームを続けるようになったとさ。
2009-06-28 20:55
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椅子とり戦争でなく椅子とりゲームでわきあいあいと。
by ayu15 (2009-06-30 08:30)