恩讐の彼方に・ある抗議書・火の鳥 [人権]
以前書いたんですが、とある場所でのこと。
そこでは、少年犯罪が増えているという人が大多数でした。増えていないというのはうちふくめて一人二人・・という感じでした。
長年家庭裁判所で勤め上げた方は「実は以外でしょうけど減っているんですよ」と答えました。
世の中連日のごとく?凶悪犯罪を報道されすごく怖いように感じます。監視強化管理強化が叫ばれます。
殺されるのがいいのか監視うけいれるのか?と二者択一迫る人も・・・。
今日?の読売には監視強化の記事もあります。中国では日本以上にすごくてすごい数の監視カメラがあるそうです。もちろん治安維持社会秩序が理由だそうです。 悪から守るため悪?になるのもねえ・・・。
報道とともに凶悪犯罪がどんどん増えているという「常識??」ができ死刑制度維持の人が大多数だそうです。一部ネット世論では死刑廃止コメントに叩きが起きています。
『存続論がおかしいのでなく叩きがおかしい』
余談ですが医療事件も増えたのではなく報道が増えたそうです。
そんな中読売新聞になかなかいい記事が載ってました。
山折さんのかかれたものです。
菊池寛さんの2つの小説を取り上げられています。
ざ~と小説を紹介します。
☆恩讐の彼方に
主人を殺した市九郎が仏門に入り耶馬溪でトンネル掘るんです。
あだ討ちにきた被害者遺族が光とともにときはなたれるという物語です。
☆ある抗議書
夫婦殺しの殺人犯に死刑判決が下ります。
獄中で改心します。感謝ののち処刑されます。
死刑囚の最後の姿をきいた遺族の怒り。
☆火の鳥
有名な手塚さんの代表作です。
僕悪非道な無法者にひどいことされた仏師と無法者の物語です。人間性・罪・生きることなどの大きなテーマで本質を問いかけます。
(これは新聞には載ってません。)
今から90年前に相反するものを書いた懐の深さに驚くと山折さんは書いています。
また悪の根拠つかみ出すのが容易でないそうです。
できたらうちのへたくそな紹介より原文どうぞ。(読売新聞)
この文から考えてみます。
世の中「悪」とされると 「解雇当然!」「人権ないの当然!」社会から叩かれたりします。(特にネット)
じゃあ悪て?
ある人はマナー悪いと非難して解雇は当然といいます。
ある人は上司命令逆らえば解雇されてもしょうがない!と言います。
ある人は法律に反したから厳罰だ!と言います。
ある人はルール違反だから「排除」は当然といいます。
これらは被告?でなく第三者が自分の思う悪だと被告をみているのかも?
マナーてなあに??う~ん・・・
上司命令さからうのは問題でしょうけど、その命令が「おかしい」時は??
自分がおかしいとおもうことと叩いている人がおかしいと思うことは食い違ったりします。
法に反したら悪??いいかえたら法おかしてないのは悪でないということに。
ソクラテスさんみたいに毒杯飲むことになりますよ!
ぎゃくにどっかの政治家みたいに違法でないが市民常識としておかしいなんていうこともおきますよ。
まああゆごときがかんがえてわかるはずもない難問なので悪とは?はパスしちゃいま~す。
で本題
上記2作品と火の鳥に共通するもの???があります。
被害者と加害者です。
☆恩讐の彼方には
加害者は死刑になっていません。
なぜ殺したかはここではわかんないんですが、悔い改めてざんげで生きてきています。きっと浄土にいけるとうちは思います。
被害者遺族は父を殺された事で大きく生活がかわったと思います。長年のあだ討ちに人生費やしてきたでしょう。言葉にならないとてつもない苦労苦悩苦痛などがあったべしょう。でも最後にやっと恨みから解き放たれ楽になっています。
☆ある抗議書は
加害者は死刑になっています。
遺族は感謝ののち処刑されてしまったことで、相手がいなくなってしまい行き場がない苦しみが残ってしまいます。
この相反する?2作品は近い年代で書かれているそうです。
☆火の鳥
被害者は命は助かりましたが、仏師として致命的になる可能性の高い傷を負います。
加害者は次々個人的恨みもない人を襲って殺してきています。まさしく「凶悪犯」でしょう。
一度目の再開で被害者は赦しています。加害者は仏門にはいり懺悔のみちに入ったばかりです。
2度目の再開で被害者は加害者に重い?罰をあたえるように訴えます。
加害者は抵抗せず受け入れます。
被害者はうちの印象では人がかわったことで、苦しくなったようにも思えます。
加害者はとても不幸な生い立ちです。世間からつめたくされたので世間を恨んでいます。この恨みが一個人に向かってしまっています。そのひとりがこの被害者です。
うらんで暴れている間は苦しみはおくにしまいこんでいたのかも???
仏門に入り日々過去に苦しんだかも??
この二人が浄土にいけることをうちは願います。
先日の新聞にありましたが、殺人と性犯罪の時には被害者心情がはたらき被害者視点で厳罰化の傾向が市民感情のようです。殺せ!とネットでは盛り上がったりします。
同新聞の別の日別記事では被害者支援NPOです。こちらは支援しようと言う声がもりあがりません。
死刑にはもりあがりでも、経済的・人的支援は消極的な方々がいるようです。
3つのケースみても人が人を裁くのはとても難しいようです。でも現実さばかないといけないんですねえ・・・。
被害者に救い・生きていけるようにするのも大変なようです。
少なくとも杓子定規では無理でしょう。
火の鳥を例にとると裁判は加害者が被害者を襲った事件だけを切り取ってさばくことになります。強盗傷害罪でしょうか???
当然有罪です。余罪あわせたら死刑でしょう。
でもそこまで追い詰めたのは??彼もまた元は被害者だったんでしょう。悲劇の再生産かも。これは司法ではあまり反映出来ませんよね。
宗教の役割の大事さはここにもあるようにも思えます。
[某法王は論外かも?』すべての苦しむ人に救いがあるといいなあと思います。
そこでは、少年犯罪が増えているという人が大多数でした。増えていないというのはうちふくめて一人二人・・という感じでした。
長年家庭裁判所で勤め上げた方は「実は以外でしょうけど減っているんですよ」と答えました。
世の中連日のごとく?凶悪犯罪を報道されすごく怖いように感じます。監視強化管理強化が叫ばれます。
殺されるのがいいのか監視うけいれるのか?と二者択一迫る人も・・・。
今日?の読売には監視強化の記事もあります。中国では日本以上にすごくてすごい数の監視カメラがあるそうです。もちろん治安維持社会秩序が理由だそうです。 悪から守るため悪?になるのもねえ・・・。
報道とともに凶悪犯罪がどんどん増えているという「常識??」ができ死刑制度維持の人が大多数だそうです。一部ネット世論では死刑廃止コメントに叩きが起きています。
『存続論がおかしいのでなく叩きがおかしい』
余談ですが医療事件も増えたのではなく報道が増えたそうです。
そんな中読売新聞になかなかいい記事が載ってました。
山折さんのかかれたものです。
菊池寛さんの2つの小説を取り上げられています。
ざ~と小説を紹介します。
☆恩讐の彼方に
主人を殺した市九郎が仏門に入り耶馬溪でトンネル掘るんです。
あだ討ちにきた被害者遺族が光とともにときはなたれるという物語です。
☆ある抗議書
夫婦殺しの殺人犯に死刑判決が下ります。
獄中で改心します。感謝ののち処刑されます。
死刑囚の最後の姿をきいた遺族の怒り。
☆火の鳥
有名な手塚さんの代表作です。
僕悪非道な無法者にひどいことされた仏師と無法者の物語です。人間性・罪・生きることなどの大きなテーマで本質を問いかけます。
(これは新聞には載ってません。)
今から90年前に相反するものを書いた懐の深さに驚くと山折さんは書いています。
また悪の根拠つかみ出すのが容易でないそうです。
できたらうちのへたくそな紹介より原文どうぞ。(読売新聞)
この文から考えてみます。
世の中「悪」とされると 「解雇当然!」「人権ないの当然!」社会から叩かれたりします。(特にネット)
じゃあ悪て?
ある人はマナー悪いと非難して解雇は当然といいます。
ある人は上司命令逆らえば解雇されてもしょうがない!と言います。
ある人は法律に反したから厳罰だ!と言います。
ある人はルール違反だから「排除」は当然といいます。
これらは被告?でなく第三者が自分の思う悪だと被告をみているのかも?
マナーてなあに??う~ん・・・
上司命令さからうのは問題でしょうけど、その命令が「おかしい」時は??
自分がおかしいとおもうことと叩いている人がおかしいと思うことは食い違ったりします。
法に反したら悪??いいかえたら法おかしてないのは悪でないということに。
ソクラテスさんみたいに毒杯飲むことになりますよ!
ぎゃくにどっかの政治家みたいに違法でないが市民常識としておかしいなんていうこともおきますよ。
まああゆごときがかんがえてわかるはずもない難問なので悪とは?はパスしちゃいま~す。
で本題
上記2作品と火の鳥に共通するもの???があります。
被害者と加害者です。
☆恩讐の彼方には
加害者は死刑になっていません。
なぜ殺したかはここではわかんないんですが、悔い改めてざんげで生きてきています。きっと浄土にいけるとうちは思います。
被害者遺族は父を殺された事で大きく生活がかわったと思います。長年のあだ討ちに人生費やしてきたでしょう。言葉にならないとてつもない苦労苦悩苦痛などがあったべしょう。でも最後にやっと恨みから解き放たれ楽になっています。
☆ある抗議書は
加害者は死刑になっています。
遺族は感謝ののち処刑されてしまったことで、相手がいなくなってしまい行き場がない苦しみが残ってしまいます。
この相反する?2作品は近い年代で書かれているそうです。
☆火の鳥
被害者は命は助かりましたが、仏師として致命的になる可能性の高い傷を負います。
加害者は次々個人的恨みもない人を襲って殺してきています。まさしく「凶悪犯」でしょう。
一度目の再開で被害者は赦しています。加害者は仏門にはいり懺悔のみちに入ったばかりです。
2度目の再開で被害者は加害者に重い?罰をあたえるように訴えます。
加害者は抵抗せず受け入れます。
被害者はうちの印象では人がかわったことで、苦しくなったようにも思えます。
加害者はとても不幸な生い立ちです。世間からつめたくされたので世間を恨んでいます。この恨みが一個人に向かってしまっています。そのひとりがこの被害者です。
うらんで暴れている間は苦しみはおくにしまいこんでいたのかも???
仏門に入り日々過去に苦しんだかも??
この二人が浄土にいけることをうちは願います。
先日の新聞にありましたが、殺人と性犯罪の時には被害者心情がはたらき被害者視点で厳罰化の傾向が市民感情のようです。殺せ!とネットでは盛り上がったりします。
同新聞の別の日別記事では被害者支援NPOです。こちらは支援しようと言う声がもりあがりません。
死刑にはもりあがりでも、経済的・人的支援は消極的な方々がいるようです。
3つのケースみても人が人を裁くのはとても難しいようです。でも現実さばかないといけないんですねえ・・・。
被害者に救い・生きていけるようにするのも大変なようです。
少なくとも杓子定規では無理でしょう。
火の鳥を例にとると裁判は加害者が被害者を襲った事件だけを切り取ってさばくことになります。強盗傷害罪でしょうか???
当然有罪です。余罪あわせたら死刑でしょう。
でもそこまで追い詰めたのは??彼もまた元は被害者だったんでしょう。悲劇の再生産かも。これは司法ではあまり反映出来ませんよね。
宗教の役割の大事さはここにもあるようにも思えます。
[某法王は論外かも?』すべての苦しむ人に救いがあるといいなあと思います。
2010-04-27 12:20
nice!(2)
コメント(7)
トラックバック(0)
モカさんありがとうございます。3作品とも奥が深そうです。
by ayu15 (2010-04-28 09:49)
ladybirdさんありがとうございます。
by ayu15 (2010-04-28 12:17)
ナイス!!!
考え込みました。
恩讐の彼方ですねぇ、、、本当に。
by せとともこ (2010-08-17 12:29)
せとさんありがとうございます。これも時間かかった日記の一つです。
憎しみ・悲劇の再生産から、救いにできないのか他にも書いてるのでどうぞ。
日記リストもあります。
by ayu15 (2010-08-17 21:04)
あゆさん、うちのブログへのコメントと、記事のご案内ありがとうございました。
>少年犯罪が増えているという人が大多数でした。
こういう誤解は本当に困りますね。毎年出る犯罪白書の内容を報道機関はもっともっと大々的に報道するべきですね。
>死刑にはもりあがりでも、経済的・人的支援は消極的な方々がいるようです。
死刑と被害者支援とに同じくらい盛り上がるならともかく、死刑には盛り上がるけど被害者支援に盛り上がらない世論ってなんなのかと思います。
by 村野瀬玲奈 (2010-10-03 22:02)
村野瀬さんありがとうございます。
憶測ですが
1脊髄反射的に被害者心情で死刑に!
2異なるものに不寛容で排除したがる「右翼思考」 (うちの造語)
3自分はリスク?努力おわない被害者心情
死刑は刑務官任せ。でも経済・人的支援は予算措置制度設計ともなうので自分の利益にならないという個人主義(個人主義非難していているのに・・)
最近
被害者遺族で刑務官の方の苦悩(実話もとにした)もとりあげてます。
by ayu15 (2010-10-04 20:43)
灰色の虹もどうぞ。http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2010-11-28-2
by ayu15 (2011-07-21 21:31)