いない人はどこから? [社会問題]
life---生まれてきて良かったと感じられる社会に
--苦悩の狭間-- ☆ 一人一人を大切にして見捨てない社会に。みんなが自分らしく生きれますように♪
2007年日記リストはこちらをどうぞ http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2008-03-27
2008年日記リストはこちらをどうぞ http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2008-03-28
2009年日記リストはこちらをどうぞ http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2009-02-22
2010年日記リストはこちらをどうぞ http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2010-02-01
初めての方は、コメントくださる前にまず、はじめましてをごらんくださいね。
http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/archive/c35382141-1
ssh385 その場にいない人を自己利益のために引っ張り出すな [考える力を鍛える]
http://sshshouron.blog.so-net.ne.jp/2010-10-10-2
というのをshiraさんが書かれていました。あいかわらず見事です。
うちが下手くそな文書いてもなんなので、違う視点で行きます。以下ブログより
山田ズーニー氏の「おとなの小論文教室」
前後するが、“Lesson507 「こども」という印籠”には、たくさん、いいおたよりをいただいた。私自身、発見があったので、きょうは、読者メールをもとに、さらに考えていきたい。
私が疑問に思うのは、現場にいない人がなぜ出てくるか?ということだ。
ことの発端は、私が駅のホームでコラーゲンドリンクを飲んでいたことから始まる。
その日のホームはすいていて、こどもは1人もいなかった。にもかかわらず、ある人から、「だいたい駅のホームでドリンクを飲むなんて、こどもがいたらどうする?ビンがわれて、こどもがケガでもしたらどうする?」と言った。
またある人は、私にぶつかった「疲れたおじさん」が可哀想だと言う。
ぶつかった人については、「男」としか表記していない。私にぶつかったのは、実は、30歳くらいの血色のよい、がっしりした男、つまり「元気な青年」だった。
現場に本当はいない、「こども」や、「疲れたおじさん」は、なぜ、どこから出てきたのだろう?
「現場にいない人はどこから来るか?」
以上
駅でドリンク飲むことてありますよね?! だって駅のホームでも売ってるでしょ。あれが家に持って帰るためにうっているなんて思えませんが・・・。
以下ブログより
現場に実際にはいない人物を持ち出したことは、私にもある。
この夏、銀行に行ったときのことだ。番号札を取って並び、私の番が呼ばれた。やっと順番がきたので窓口に行くと、私の書類に不備があるという。それで、書き直してほしいと、直せたら、もう一度番号札を引き直して、順番まちの最後尾に並んでほしいと言われた。
以前は、そんなルールではなかった。窓口で書類に不備があったら、書き直してすぐ持っていけば、窓口で手続きしている最中の人の、すぐ次の順番に入れてくれた。少し前からこの支店だけ、ルールを変えたそうだ。
私が納得がいかないというと、クレーム対応専門の女性が私の話を聞いてくれることになった。
私は、「書類に不備があったら、次の人を先に処理するのは当然だし、1番あと、2番あとになるのは、まったくかまわない。しかし、整理券を取り直して列の最後尾にならなければならないのが、
どうしても納得できない」ということをひとしきり、とうとうと伝えた。
今年の夏は、人生で一番暑かった。その日も、朝からものすごい暑さだった。ニュースでは、お年寄りが熱中症で亡くなったと連日報道されていた。
それで、私は、言ったのだ。「この暑さです。猛暑の中、お年寄りが銀行に来るだけでも大変なのに、長い順番待ちをして、窓口で出した書類に不備があって、また最後尾に並ばされて、体調が悪くなったら、どうするんですか?」
すると、クレーム対応の女性は、とても冷静に、品のある穏やかな声で、でも、はっきりとこうたずねた。
「それは、その場に、実際にお年寄りがいた、ということでしょうか?それとも、仮定の話でしょうか? 大事なところですから、確認させてください。その場にお年寄りは、いらっしゃったのか? いらっしゃらなかったのか?」
私は、はっ、と痛いところをつかれ、黙った。次の瞬間、恥ずかしさと自己嫌悪がかぁ、とこみあげ、消えてなくなりたい心境だった。◆◆
以上
その説明があります。
以下ブログより
「現場にいない人はどこから来るか?」
これはもちろん、前回「印籠」と言ったように、それを突きつけることで、相手を現実以上に悪者にし、反論できないようにし、自分が優位に立ちたいという心理からだ。つまりは自分の先入観、偏見。
こどもにしろ、お年寄りにしろ、現場にいない人物を持ち出した時点で、私は、人それぞれの個性や、固有の経験や人格や尊厳を見失って、ひとくくりにして、勝手に、弱者と決め付けている。そういう愚かさが私にある。◆◆
以上
前出の例と後の例はともにいない人がでてきて人の批判になっています。
構図は同じかもしれません。
でもなんかもやもやするんです。
何度も書いてるように偏見は嫌です。でもこれは偏見??
「人それぞれの個性や、固有の経験や人格や尊厳を見失って、ひとくくりにして、勝手に、弱者と決め付けている。そういう愚かさが私にある。◆◆」とありますが、これはうちが少しでも緩和させようと、減らそうとしているものです。
うちにとっての「正しいこと」でしょう。
理屈はうちにはわかんないです。
でもうちならどう思うか考えました。
☆まずドリンク
うちならそんなこと言いません。なんか道徳右翼的発想だもの。
解説にあるようなこと思えます。
この人は安全と思ったからで、もし想定(いない人がでてきたケース)なら修正するでしょうから。
☆ぶつかった人
かわいそうとうちは言うかも??
でもそれはぶつかられた人にはぶつかられてかわいそうというんです。
ぶつかった人は理由がわかりません。でも画一的に「けしからん!」は
「人それぞれの個性や、固有の経験や人格や尊厳を見失って、ひとくくりにして、勝手に、弱者と決め付けている。そういう愚かさが私にある。◆◆」となるでしょう。
あの人つかれていたのかなあ~。みえてなかったのかなあ~。とか思ったりします。
また若いからけしからん!もなしです。若くても体調不良でふらつく可能性あるもの。
「もし疲れてたならかわいそう」とぶつかられた人にでなくいうならありかも。もちろんぶつかられた人にもね!
ホーム端とかは命にかかわる重大なことなので、上記の状態の人はくれぐれも端に行かないようにしましょうね。もしうっかりそういう人が端に来たらみなさんよけてあげましょう!自分の身も守ることにもなるので。
☆銀行
う~~ん・・・。これは・・・。
うちも多分やるかも。ドリンク同様反則技かもしれません。どもあくまで文面だけの想定ですが、対応みたら杓子定規では??とみえるからです。
近年監視強化厳罰化が進んでいるような??
書類も大変です。昔と違いいちいち本人が書きます。厳しい時は・一つで書きなおしさされます。
うちの親とか悲鳴上げてますよ!
見えてるけど目が疲れやすい人・細かいの見えにくい人・疲れている人・急いでいる人、元気じゃない人・荷物多くて集中できない人その他
比較でみたらやり直しの負担が大きい人のほうがやり直しする確立が高そうな。
(データも論拠もなく主観です)
銀行の対応は適切で「正しい」でしょう。
でもうちならこういう対応されるとおこりますよ!
前出の「人それぞれの個性や、固有の経験や・・・」はこの場合銀行側にも問題ありと見えます。
監視強化画一化でここへの配慮がされにくくなっています。
世の中便利になりました。でもその便利さもなにかの拍子に企画からはずれるとえらいことに!
書き間違いは程度はともかく企画から外れたわけです。そのために必要以上の手間や時間がかかります。これらのリスク??はこの銀行では利用者がおうことに!
以前書いた契約の自由と消費者保護です。
この場合ルールは銀行側が銀行側の都合で作られます。法人同士なら契約時に相手が存在するし、対等的な面もあります。でもこれはそれはありません。
相手が特定できないため銀行側が一方的に作ります。もちろん消費者がはなれると利益にならないので銀行側が想定したケースを考慮するでしょう。
これが気になるんです。
いない人はここからもでてきます。画一的一般論で想定しちゃうと(それで対応で規格外を冷遇すると)
多数の人は問題ないし不満も言わないでしょう。
誰かが代弁しないといけないんです。当人もでしょうが、それで利益?もある多数派が規格外の少数派への配慮をいわないと改善は困難と思います。
だからいない人がでてきることがあります。
うちは「誰もが生きれる」ですからそういう声にならない声をうちがあげます。自分が不都合な当事者でなくても!ていうかそうじゃないからこしお言うんです。
世の中うわさでは「死人が出ないと改善されない社会」という声があります。ある意味いる人だけでみていない人をださないからこうなるのかも??
うちはいない人だして画一的に今の想定でやるとこういう人がとても困りますよ!といない人のケースを訴えます。でもよく「そういうのいうのはあなただけです!実際あったんですか!どこの誰ですか!」と異口同音にかえってきて」あしらわれてしまい終わります。
その人のプライバシーもあるしかりに現実にいても名前とか言いたくないです。ていうか実際あってからでは遅いから強く言っているんです。
ここまで書くと銀行は悪いと感じるかもしれませんね。でも銀行も結果的に不親切な対応してますが、悪い人達じゃないと思います。監視強化で銀行は「箸の上げ下げまで監視されれるみたいだ!」(ある銀行員の感想)ともいわれるようです。
苦情対応に求められます。
「人それぞれの個性や、固有の経験や人格や尊厳を見失って、ひとくくりにして、勝手に、弱者と決め付けている。そういう愚かさが私にある。◆◆」
こういう対応したほうが楽のようです。
先日書いたバスと車いすのこと覚えている人いるでしょうか?
この銀行の発想だと車いすだろうが歩道通ってください!といい正論展開しそうです。
どもこの運転手はそんな理屈展開することなく、車いすの人を行かしています。乗客も文句言いません。
世の中問題には論拠求められます。論拠がないと説得力なく、意見としても聞いてもらいにくいです。じゃあ論拠あればいいんでしょうか?正論ならいいんでしょうか?
この銀行は論拠があり正論でしょう。あいてを論破したでしょう。「誠実な対応」でしょう。でもそれでいいとはうちは思えません。リスクヘッジ(shiraさんのブログどうぞ)おそれて理論武装してなにかみうしなっているように見えます。
オンラインは当たり前で金融制度はかなり複雑です。対面で顔なじみなんて昔の話でしょう。銀行も大変のようです。便利さと引き換えに私たちはなんかを失っているようです。この銀行の対応にもそれが垣間見れます。
議論に勝ったけどお客の信頼(自分に配慮してくれる・大事にしてくれているという実感)を失ったではねえ・・・。
銀行もお客も疲れていてゆとりがないのかもしれません。
「いない人はだすな!死人出たら考えます!」では誰もが生きれる社会への道は遠そうです。
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というのをshiraさんが書かれていました。あいかわらず見事です。
うちが下手くそな文書いてもなんなので、違う視点で行きます。以下ブログより
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前後するが、“Lesson507 「こども」という印籠”には、たくさん、いいおたよりをいただいた。私自身、発見があったので、きょうは、読者メールをもとに、さらに考えていきたい。
私が疑問に思うのは、現場にいない人がなぜ出てくるか?ということだ。
ことの発端は、私が駅のホームでコラーゲンドリンクを飲んでいたことから始まる。
その日のホームはすいていて、こどもは1人もいなかった。にもかかわらず、ある人から、「だいたい駅のホームでドリンクを飲むなんて、こどもがいたらどうする?ビンがわれて、こどもがケガでもしたらどうする?」と言った。
またある人は、私にぶつかった「疲れたおじさん」が可哀想だと言う。
ぶつかった人については、「男」としか表記していない。私にぶつかったのは、実は、30歳くらいの血色のよい、がっしりした男、つまり「元気な青年」だった。
現場に本当はいない、「こども」や、「疲れたおじさん」は、なぜ、どこから出てきたのだろう?
「現場にいない人はどこから来るか?」
以上
駅でドリンク飲むことてありますよね?! だって駅のホームでも売ってるでしょ。あれが家に持って帰るためにうっているなんて思えませんが・・・。
以下ブログより
現場に実際にはいない人物を持ち出したことは、私にもある。
この夏、銀行に行ったときのことだ。番号札を取って並び、私の番が呼ばれた。やっと順番がきたので窓口に行くと、私の書類に不備があるという。それで、書き直してほしいと、直せたら、もう一度番号札を引き直して、順番まちの最後尾に並んでほしいと言われた。
以前は、そんなルールではなかった。窓口で書類に不備があったら、書き直してすぐ持っていけば、窓口で手続きしている最中の人の、すぐ次の順番に入れてくれた。少し前からこの支店だけ、ルールを変えたそうだ。
私が納得がいかないというと、クレーム対応専門の女性が私の話を聞いてくれることになった。
私は、「書類に不備があったら、次の人を先に処理するのは当然だし、1番あと、2番あとになるのは、まったくかまわない。しかし、整理券を取り直して列の最後尾にならなければならないのが、
どうしても納得できない」ということをひとしきり、とうとうと伝えた。
今年の夏は、人生で一番暑かった。その日も、朝からものすごい暑さだった。ニュースでは、お年寄りが熱中症で亡くなったと連日報道されていた。
それで、私は、言ったのだ。「この暑さです。猛暑の中、お年寄りが銀行に来るだけでも大変なのに、長い順番待ちをして、窓口で出した書類に不備があって、また最後尾に並ばされて、体調が悪くなったら、どうするんですか?」
すると、クレーム対応の女性は、とても冷静に、品のある穏やかな声で、でも、はっきりとこうたずねた。
「それは、その場に、実際にお年寄りがいた、ということでしょうか?それとも、仮定の話でしょうか? 大事なところですから、確認させてください。その場にお年寄りは、いらっしゃったのか? いらっしゃらなかったのか?」
私は、はっ、と痛いところをつかれ、黙った。次の瞬間、恥ずかしさと自己嫌悪がかぁ、とこみあげ、消えてなくなりたい心境だった。◆◆
以上
その説明があります。
以下ブログより
「現場にいない人はどこから来るか?」
これはもちろん、前回「印籠」と言ったように、それを突きつけることで、相手を現実以上に悪者にし、反論できないようにし、自分が優位に立ちたいという心理からだ。つまりは自分の先入観、偏見。
こどもにしろ、お年寄りにしろ、現場にいない人物を持ち出した時点で、私は、人それぞれの個性や、固有の経験や人格や尊厳を見失って、ひとくくりにして、勝手に、弱者と決め付けている。そういう愚かさが私にある。◆◆
以上
前出の例と後の例はともにいない人がでてきて人の批判になっています。
構図は同じかもしれません。
でもなんかもやもやするんです。
何度も書いてるように偏見は嫌です。でもこれは偏見??
「人それぞれの個性や、固有の経験や人格や尊厳を見失って、ひとくくりにして、勝手に、弱者と決め付けている。そういう愚かさが私にある。◆◆」とありますが、これはうちが少しでも緩和させようと、減らそうとしているものです。
うちにとっての「正しいこと」でしょう。
理屈はうちにはわかんないです。
でもうちならどう思うか考えました。
☆まずドリンク
うちならそんなこと言いません。なんか道徳右翼的発想だもの。
解説にあるようなこと思えます。
この人は安全と思ったからで、もし想定(いない人がでてきたケース)なら修正するでしょうから。
☆ぶつかった人
かわいそうとうちは言うかも??
でもそれはぶつかられた人にはぶつかられてかわいそうというんです。
ぶつかった人は理由がわかりません。でも画一的に「けしからん!」は
「人それぞれの個性や、固有の経験や人格や尊厳を見失って、ひとくくりにして、勝手に、弱者と決め付けている。そういう愚かさが私にある。◆◆」となるでしょう。
あの人つかれていたのかなあ~。みえてなかったのかなあ~。とか思ったりします。
また若いからけしからん!もなしです。若くても体調不良でふらつく可能性あるもの。
「もし疲れてたならかわいそう」とぶつかられた人にでなくいうならありかも。もちろんぶつかられた人にもね!
ホーム端とかは命にかかわる重大なことなので、上記の状態の人はくれぐれも端に行かないようにしましょうね。もしうっかりそういう人が端に来たらみなさんよけてあげましょう!自分の身も守ることにもなるので。
☆銀行
う~~ん・・・。これは・・・。
うちも多分やるかも。ドリンク同様反則技かもしれません。どもあくまで文面だけの想定ですが、対応みたら杓子定規では??とみえるからです。
近年監視強化厳罰化が進んでいるような??
書類も大変です。昔と違いいちいち本人が書きます。厳しい時は・一つで書きなおしさされます。
うちの親とか悲鳴上げてますよ!
見えてるけど目が疲れやすい人・細かいの見えにくい人・疲れている人・急いでいる人、元気じゃない人・荷物多くて集中できない人その他
比較でみたらやり直しの負担が大きい人のほうがやり直しする確立が高そうな。
(データも論拠もなく主観です)
銀行の対応は適切で「正しい」でしょう。
でもうちならこういう対応されるとおこりますよ!
前出の「人それぞれの個性や、固有の経験や・・・」はこの場合銀行側にも問題ありと見えます。
監視強化画一化でここへの配慮がされにくくなっています。
世の中便利になりました。でもその便利さもなにかの拍子に企画からはずれるとえらいことに!
書き間違いは程度はともかく企画から外れたわけです。そのために必要以上の手間や時間がかかります。これらのリスク??はこの銀行では利用者がおうことに!
以前書いた契約の自由と消費者保護です。
この場合ルールは銀行側が銀行側の都合で作られます。法人同士なら契約時に相手が存在するし、対等的な面もあります。でもこれはそれはありません。
相手が特定できないため銀行側が一方的に作ります。もちろん消費者がはなれると利益にならないので銀行側が想定したケースを考慮するでしょう。
これが気になるんです。
いない人はここからもでてきます。画一的一般論で想定しちゃうと(それで対応で規格外を冷遇すると)
多数の人は問題ないし不満も言わないでしょう。
誰かが代弁しないといけないんです。当人もでしょうが、それで利益?もある多数派が規格外の少数派への配慮をいわないと改善は困難と思います。
だからいない人がでてきることがあります。
うちは「誰もが生きれる」ですからそういう声にならない声をうちがあげます。自分が不都合な当事者でなくても!ていうかそうじゃないからこしお言うんです。
世の中うわさでは「死人が出ないと改善されない社会」という声があります。ある意味いる人だけでみていない人をださないからこうなるのかも??
うちはいない人だして画一的に今の想定でやるとこういう人がとても困りますよ!といない人のケースを訴えます。でもよく「そういうのいうのはあなただけです!実際あったんですか!どこの誰ですか!」と異口同音にかえってきて」あしらわれてしまい終わります。
その人のプライバシーもあるしかりに現実にいても名前とか言いたくないです。ていうか実際あってからでは遅いから強く言っているんです。
ここまで書くと銀行は悪いと感じるかもしれませんね。でも銀行も結果的に不親切な対応してますが、悪い人達じゃないと思います。監視強化で銀行は「箸の上げ下げまで監視されれるみたいだ!」(ある銀行員の感想)ともいわれるようです。
苦情対応に求められます。
「人それぞれの個性や、固有の経験や人格や尊厳を見失って、ひとくくりにして、勝手に、弱者と決め付けている。そういう愚かさが私にある。◆◆」
こういう対応したほうが楽のようです。
先日書いたバスと車いすのこと覚えている人いるでしょうか?
この銀行の発想だと車いすだろうが歩道通ってください!といい正論展開しそうです。
どもこの運転手はそんな理屈展開することなく、車いすの人を行かしています。乗客も文句言いません。
世の中問題には論拠求められます。論拠がないと説得力なく、意見としても聞いてもらいにくいです。じゃあ論拠あればいいんでしょうか?正論ならいいんでしょうか?
この銀行は論拠があり正論でしょう。あいてを論破したでしょう。「誠実な対応」でしょう。でもそれでいいとはうちは思えません。リスクヘッジ(shiraさんのブログどうぞ)おそれて理論武装してなにかみうしなっているように見えます。
オンラインは当たり前で金融制度はかなり複雑です。対面で顔なじみなんて昔の話でしょう。銀行も大変のようです。便利さと引き換えに私たちはなんかを失っているようです。この銀行の対応にもそれが垣間見れます。
議論に勝ったけどお客の信頼(自分に配慮してくれる・大事にしてくれているという実感)を失ったではねえ・・・。
銀行もお客も疲れていてゆとりがないのかもしれません。
「いない人はだすな!死人出たら考えます!」では誰もが生きれる社会への道は遠そうです。
2010-10-13 13:30
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コメント(2)
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ご紹介ありがとうございます。
山田氏が続編を書いてます。日頃言語化できずに溜め込んでしまったイライラみたいなものが、その場にいない人を引っ張り出して正義の名の下に爆発するんじゃないかという考察です。
私の考える方策は「ウソをやめる」ということです。子どもだの老人だの国益だの被害者感情だの引っ張り出す前に「オレはこういうのは嫌いなんだ!」と個人的感情をまず認めてしまうと、その後は割と心穏やかに考えられると。
by shira (2010-10-13 22:20)
shiraさんありがとうございます。
想定ケースで異なるように思えます。
うちの想像では山田さんの想定でいくとshiraさんのうそをつかないというのはいい方法だと思います。
でもあえて視点かえたんですが、うちの想定ケースでは100%勝つな!です。
by ayu15 (2010-10-14 09:30)