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努力の対価? [学問]

 先日の続きです。哲学授業をうけてです。
http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2011-01-02
http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2011-01-02-1
この話の続きなのでよければ最初からどうぞ。




 リバタリアンでなくても格差是正好まない人(某経済界の人も??)に目につくのは「努力の結果である」「能力生かした結果である」と言います。
自分は自分のものなのでい所努力の結果の報酬とみなします。だから利益の再配分は「どろぼう」のように心情的に感じる意見があるようです。
 
「ほしいなら努力しなさい」となり収入は「努力の差だからなんで努力しない貧困者に苦労して稼いだおかねとられるんだ!」という怒りが出るようです。
なるほど稼いだ人の視点で見たらそういう心情もでるでしょう。そういう側面あるかもしれません。


でも努力の結果でしょうか??


あゆの考えたたとえ(たとえ下手なんで他にいの教えてください)
Aさんは毎日ヘトヘトになるまで練習してます。でもいつも上位に入れません。Bさんは1時間ぐらいの練習です。Bさんはいつも1位候補です。Aさんはやり方変えたら?と思い人に教わり変えたりもしますが結果出ません。

どうみてもAさんのほうが努力してます。

うちの」経験則でもどうかんがえても努力と結果は比例しません。


 ここで「努力の結果だ!」という論理が怪しくなるようです。収入差は努力の結果でなく貢献度の結果では?!
 1億ドル稼ぐスター選手と数100ドル??の控え選手の差は努力の結果でなく貢献度の結果という論理がでてきます。


  リバタリアン的にいくと?貢献も努力?だから格差は当然で再配分したくない??


もしあなたが報酬査定する時、雇っている人に「私は人一倍努力したから人一倍給料ください!」と言われたら??
「私は人一倍貢献したから人一倍給料ください!」
さああなたはどちらを評価しますか?


 努力の対価でなく貢献度の対価と言う考え方ができそうです。

努力のほかに能力もあるでしょう。人は能力を発揮できるものがそれぞれ違うようです。



 授業では社会がその人のもつ能力を必要とするからだ!と言うのが出ます。
戦闘時代だと(日本の戦国?)戦う能力を重視されます。この時代では高収入は戦う能力が高い人となります。株を右から左と動かす能力なんていらないでしょう。

 そう時代や社会などにより求められる能力は違うんです。となるとひとつの考え方がでます。運よくいま必要とされる能力を持って生まれた!というものです。


 もちろん能力だけでなくそれを磨くための教育や努力が必要でしょうけど。









ここにいくつかの考え方があります。
リバタリアン・・形式的な機会均等。   実際はスタートラインが公平でない。
能力主義・・・公正な均等。        つまりスタートラインの公平性。でも能力差でる。
平等主義・・・格差原理


3の格差原理ですが
共産主義・社会主義とはちがうそうです。

この理論は競争も格差も容認している理論です。

例え
マイケルジョーダンが100億ドル稼げるとします。
一つは彼にハンディあたえて競争させるというものです。これなら2の問題もクリアーできます。でも格差原理はそれはしません。今までどうり自由に発揮していいです。稼いでいいです。でもそのかわり稼いだお金を提供して底辺に配分しましょうという論理です。

{この理論は西欧の法思想に影響与えてそうですね}


授業からはずれますが
昨日のも寝てしまい全部見てないんですが、今日のはもっと寝てしまいあまり見てないのが残念です。
事例がきっといくつもでたでしょうに・・・。




  容認するかしないかで議論が出ます。これは学問としての授業なのでそうなるでしょう。

でも学問はなれたら容認するしないの2分法でいいんでしょうか??
個人と集合体の同一視もいままで書いてきましたが問題と思えます。


また戻ります。

教育がでたところで、教育に話が向かいます。
アファーマティブアクション政策です。まあ積極的格差是正政策とでもいうんでしょうか?
格差はいけないというのはアメリカではほとんどいないかも?格差放任か緩和(是正措置)かの意見の違いはあるようです。


☆事例
テキサスの大学がこの政策をとりいれています。この大学相手に裁判が起きました。彼女は不合格に納得できなかったからです。裁判で同レベルの黒人などの受験生は合格になっていることを問題にしたようです。

さあ大きい問題が出ました。
もしあなたが希望する大学不合格なのに同レベルの他の人が合格なら不満ですか??
うちは不満です。

容認の人はいいんですが、不満な人にお聞きします。もし白人黒人のバランスも考慮してだとしたらそれでも不満ですか?
うちは個人的には不満です。

予想どうり議論が起きます。
1黒人は教育環境がよくないから是正が必要。
2過去の過ちのつぐない。
3(反論)過去の過ちの償いをいまのわたしたちに負わせるのか!
4人種という自分ではどうしようもない理由ではずされるのはおかしい。
など


う~~んどれもなるほどです。

2・3はまさしくうちが気にしてきた個々と集合体の連続の混同につながる可能性を充分含んでいるかも。
これはおおくのひげきをうみかねない悲劇の再生産生む恐れの少なくない大問題ですよ!

 以前書いた「大切な家族をころしたやつらは」許さない」がテロや戦争を容認させたりそくしんしたりもしています。これは個々の人と集合体の連続性の問題です。

ん?よくわかんない??

 じゃあ大日本帝国のえらいさんが命じて中国でひとを殺させて占領します。攻撃された人の遺族?が今の私たちに日本人は悪人だ!反省しろ!かねよこせ!過去の過ちの償いしろ!
どうです?これならわかりやすくないですか?
日本人が先の白人の立場になります。
これならわかりませんか~?


これも構図はなんか似ているようです。個と集合体がごちゃまぜで連続性も入ってきます。

授業にはでませんでしたが、以前書いた事例です。(例が下手かも?)
ある女性がいました。ある男性にとても辛いことされて絶望のうちに無念の最期になりました。
時はたち別のある男性に出会いました。霊魂だけの彼女はこの男性に恨みをぶつけました。

先の事例と少し違いますが、個々と集団の混同・集団の連続性(つまり次の世代に求める)という点で似てます。


彼女は被害者です。ほんと気の毒です。でも・・・。裁判のところで書いたんですが悲劇の連鎖が起きています。



再びアファーマティブアクションに戻ります。



 黒人は充分な教育受ける機会に関して不利という意見が出ましたがその通りでしょうね(一般的には)。
そう白人でも貧困で教育環境よくない人がいます。この人にとっては黒人と言うだけで優遇されるのは差別以外の何物でもないようです。
 ここで「低い方にあわす」なんていうオチはなんかやだなあ~て感じです。

 ある差別偏見に取り組んできた人によると外見とか自分での変更が困難なこと、自分で選択できないことで仲間はずれや、いやがらせはそれを差別というそうです





 授業では言葉は出ませんでしたが、「契約の自由」です。新自由主義は特に契約の自由は大事にします。
{消費者保護・弱者保護は重視しないようです}

大学は民間だから契約の自由があるはずです。どういう学生にきてほしいかは大学に権利があることになります。学生も大学えらべると同時に大学も学生を選べるんです。


 そこで自由でも権利の制限はいるという声はでます。大学には人種など選ぶ権利は制限されるべきという理屈になるかも??



  意見が少し出たんですが、教育環境が悪かったの意見についてです。特定人種優遇のいう結果操作でなく、特定人種の不利な環境を何とかすべきだという意見です。なるほどこれは説得力あるとうちは思います。

公平な環境ならこういう差別と取られかねないことはしなくていいからです。


でもここで一つ問題があります。かりにそういう政策とったとしても効果出るまでの間は??その間の受験生はどうなるんですか??

これについては触れられてません。
でもとにかくすごい授業でした。






感想

 うちは常連のかたはおわかりのように差別偏見好みません。
誰もが排除迫害(おおげさにいうと?)されることなく自分らしくいられて、誰もが生まれてきてよかったと実感できる社会です。


 差別是正にじゃあなんで個人的心情は否定的なの??という疑問持ちませんか??

 うちは「自由人」です。人と出会い関わるのは大事にしたいです。でもその時おおくは年齢・外見・人種とかでまずその人の「常識」で当てはめてしまいます。「何々人だからこうだろう」とかです。
別にわるいことじゃないです。でもその「常識」を相手に求めて規格外を排除するのは「右翼思考」に通じる恐れが・・・。

 うちのなかには個々の人に何々人なんてほとんどありません。人に「あなたは○○ですか?」と聞かないです。きいてもどっか片隅に行ってしまいます。もちろんその人が○○人をいうのを大事にしていて自分からいっているのは尊重しなくてはねえ。

 自分ではどうしようもないことで社会的におおげさにいうと??迫害仲間はずれされてきた人たち思うと心が苦しいです。


友情で出てきた夫婦ですが彼らは社会的にユダヤ人とみなされ迫害どころか虐待されました。でもかれらはドイツ人として生きていたんです。この事件にうちは怒りを感じます。彼らがドイツ人として(ドイツに帰属する)のをうばってはいけないんです。
ロバタリアン思想ででた法や社会でも奪ってはいけない権利というのがありますが、これこそその権利をうちは思うんです。


 白人に帰属・黒人に帰属・どちらにも帰属しないなど自分がみつけたならいいけど、社会がレッテルはり決めて格差作り区別するのが不安感じるんです。



 何人かなんていいです。必要な人(必要な状況)に余裕ある人達が支援できるようにと思うんです。白人だろうが黒人だろうが支援が必要なら手をさしの出られますように。白人だろうが黒人だろうが支援が必要な人がいたら自分ができる支援をしてあげませんか??

 世の中白黒ではないとおもうんです。誰もが完全じゃないです。完全な理論なんてあるんでしょうか?

数値化はある程度しょうがないでしょうけど、なんか数値が一人歩きし始めたような・・。


なんかいずれも「ありがとう」がぬけていそうな・・。 お互いがありがとうのやり取りができないんでしょうか?
うちで働いてくれてありがとう。あなたは共に働く仲間です。
使ってくれてありがとう。共に働く仲間です。
うちの製品買ってくれてありがとう。みんなに幸せ分けたくて頑張って作ったんです。
作ってくれてありがとう。
学校いかせてくれてありがとう!
確約できる場作ってくれてありがとう!
見せてくれてありがとう!
見に来てくれてありがとう!

その他いっぱい!

1なんか個人主義いきすぎだ!と個々の尊厳軽視して功利主義じゃないけど集合体の道徳秩序ありき(これを全体主義と言う声)
2個々の問題とすませ特定の人を「悪」の原因として排除する。
3kyとみなして規格から外れた人をのけものにする。
個性をわがままととらえる。
みんなおかしいです。

いずれも正義の名で起きたりします。
テロも戦争もお互い正義を名乗ってます。

正義てなんでしょう??うちにはわかりません。
正義がなんかより正義の名で流れ作り「生きれない人」がでるのを気にします。

うちを論破するのは充分な教育受けた人なら簡単でしょう。でも論破したらその理論は正しいんでしょうか??

生きづらく辛い人達にもみんなで温かいまなざし向けあいませんか!




友情        http://blog.so-net.ne.jp/life-ayu/2007-07-21-1
あってはならない事http://blog.so-net.ne.jp/life-ayu/2007-08-10 生活保護・孤独死
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shira

 アメリカ人は「成功は努力の成果」という価値観を強く持ってます。いわゆるアメリカンドリーム信仰です。しかしこれは「成功できないのは努力しないオマエが悪い」という意味でもあります。落ち着いて考えてみれば「成功は努力の成果」であるとしても「すべての成功が努力によるものである」とは言い切れないし、ましてや「成功できないのは努力不足のせい」と決めつける事はできません。数学で言う所の「逆は必ずしも真ならず」です。
by shira (2011-01-03 23:18) 

ayu15

shiraさんありがとうございます、この講義きくとなんとなく努力の結果より貢献度の結果というほうがまだしっくりいくように思えます。
経験則では努力と収入は比例しないので。

(数学で言う所の「逆は必ずしも真ならず」です。 )
なるほどこの場合もそのようですねえ。

お正月はじつにつまらないんですが、この授業だけはくいついてしまいました。(途中寝ちゃいましたけど)
by ayu15 (2011-01-04 09:18) 

村野瀬玲奈

あけましておめでとうございます。昨年もたくさんコメントありがとうございました。お返事できないことも多いですが、ありがたく拝見しています。

このお題ですけど、shiraさんと同じように、私も、成功は努力だけによるものではないと思います。スポーツ選手なら、努力によるところが大きいと思いますけど、たとえば経営者だと、本人の努力だけではなく、良いビジネスパートナーや従業員や縁に恵まれることもまた、成功の鍵だと思います。そういう意味で、自分の力だけで成功したと思っている経営者、利益を独り占めする経営者は醜いと思います。

今年もよろしくお願いいたします。
by 村野瀬玲奈 (2011-01-04 23:52) 

ラン

なんでも努力次第でどうにかなると思っている人がいるならば、そういう人ってどうも狭い世界で生きてるな、と感じますね。見ているほうが窮屈に感じます。心に余裕のない人なのかなと・・・。
人間、ステレオタイプに人を見てしまうことってありますよね。そうすると判断しやすいから、それにまかせちゃえば楽だから・・・って心理からですが、その見方を変えない限り、差別心は続いてしまうのでしょうね・・・。
by ラン (2011-01-05 00:51) 

ayu15

ランさん・村野瀬さんありがとうございます。


 この授業では努力でなく貢献度という見方のようです。なので報酬は努力の結果という論理に反対の立場のようです。

したがって努力してないから収入少ないという理屈は成立しないようです。



理屈別にして日常じぶんはどりょくでなんとかできたからできない人は甘えてるという人結構いそうです。

これはお話の後ろの方だけなのでもしよければ最初からどうぞ。


http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2011-01-02
http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2011-01-02-1
特に村野瀬さんには興味ある内容かも?
by ayu15 (2011-01-05 21:32) 

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