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届かぬ叫び [社会問題]

 凹んでいる時、つらい時友人や仲間などがささえてくれると嬉しくないですか?
 読売の昨年の載った特集です。

ある母親が立ちすくんでいました。双子の姉妹の妹の方を気がついたら布団に叩きつけていました。子どもは3週間後死亡し、母親は傷害致死で執行猶予付き有罪が確定しました。




 彼女は「あかちゃんが生まれてとてもうれしかった」と。
周囲の支援もあり市も相談にのっているし「問題はなかった」という市の担当者。


こういう事件です。

うちは悲しいです。泣きたくなります。

裁判は事件そのものだけの判断なので刑については今回はふれません。



気にするのはもっと広範囲のことです。


ある意味うちの気にしている現象の犠牲かも?
とてもうれしかったという幸せがこのような惨劇になってしまったんです。
どうみても「自己責任・自己努力」でやるべきというものじゃないです。母親はこうあるべきなのに「不道徳だ!」とか「わがままだ」とか「我慢すべきだ!」なんてかわいそうです。

誰かが「諸悪の根源」とは思えないです。白黒で判断できないです。



 以前書いた香山さんのコラムなど思い出します。

 特定の道徳観がよいとされ特定の道徳観はKY叩きの対象になることがあります。
もうすこし表現かえると暗黙の社会的プレッシャーです。別に特定の主義の人が圧力かけているというより漠然としたものです。

母親だからこうでないと・・・というプレッシャーは漠然とじわじわとのしかかってくるようです。なにか大きいものでなく小さな小さな一つ一つは取るに足らないものが積み重なり漠然としたでも強いものになるのかも



 その「空気」に彼女はおしつぶされてしまい、そして子どもを押しつぶしてしまったのかも?
これも悲劇の連鎖かも?

亡くなった子はあまりにもかわいそすぎですが、彼女も夫も生き残った子も取り返しのつかない深い傷
おったかも??


 情報もおかねも一人歩きしはじめた社会。
KY叩き恐れて自分を押し殺して無理してませんか?


自分が生きるためには自分一人ではどうにもならないことは大きいように思えるんです。


支援者・被支援者というのでなく、ゆとりある状況の人がない人に無理のない手を差し伸べませんか??
難しく考えなくていいです。おかねでなくてもいいんですよ。
その人の思いをちゃんとうけとれる(話を聞ける)とかも大きな救いの手ですよ。

一人は万人のためにというのはなんか自己犠牲的で好きじゃないです。
でも万人は一人のために、そしてその一人も万人の一人。



誰もが家族を作れる
友人作れる
仲間を作れる
そして地域や行政
誰もが生きれるように!

仲間はずれになんかしないでみんなで「生きて」いきましょうよ!
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ayu15

shiraさんありがとうございます。

by ayu15 (2011-01-17 09:50) 

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