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5対1 [学問]

  life---生まれてきて良かったと感じられる社会に
--個々の尊厳-- ☆  一人一人を大切にして見捨てない社会に。みんなが自分らしく生きれますように♪

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初めての方は、コメントくださる前にまず、はじめましてをごらんくださいね。
http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/archive/c35382141-1



 ネット上などでは個性を我がままととらえたり、個々の尊厳より空気・秩序(多数派にそう)が大事という意見が目につきます。なんか全体主義的雰囲気で不安です。

 今年なんどか取り上げたマイケルさんですが、先日書いたIQの話の後やっとでてきました。
参加者にはなんと某党の元某A省大臣・元与党の某大臣もいました。


例題
あなたは電車の運転士です。ブレーキが故障して使えなくなりました。まっすぐいくとそこには5人の作業員が作業しています。右側にいくち一人の作業員が作業をしています。
さああなたはそのまままっすぐ行きますか?
それともハンドル切りますか?

例のごとくきつい選択です。
さあみなさんどうですか??
よければ皆様この先読む前にかんがえてみてください。





 うちですが・・・。
まず突っ込み入れてしまいました。
ブレーキ効かないならクラクション?は?運行管理に報告は?ATSとかは?
そもそも見張りがいるはず。5人の中の一人は電車を気にするはず。
見張りなしで一人で作業て考えられない。
電車はポイントというのがあり運転士が自由に方向変えられない。
そもそも電車にはハンドルなさそうな・・。

つまり奇跡でもないと考えられないケースかも??[あせあせ(飛び散る汗)]

 まあ例え話にかみつくのは好ましいものでないので流してくださいね。
彼の言いたいのは(聞きたい想定)なにか考えましょう~。



 多数がハンドルを切るでした。
理由は数の問題です。5対1だから犠牲少ない方をえらぶという価値観みたいです。

 2人の政治家も同じような意見で、「ハンドルを右に切る」と言いました。元某A省大臣は迷いも苦悩もなく「当然だ!これが政治家だ!」と言ってました。
{なんか不安感じるのはうちだけ?}




 それでいいんでしょうか???
本来まっすぐ進むはずの電車なので、本来電車がこないほうにいる一人を、意図して殺すんですよ!これは殺人といえなくもないでしょう。被害者は何の落ち度もないんです。

 仮に最初から右にいくことに(事故と無関係に)なっていればまた違います。

ここには決められていたコースが考慮にはいっていません。これは無視できないと思うんですが・・・。







例題2
 さっきと同じ状況です。今度はあなたは運転士でなく、線路そばで見ている人です。あなたは小さいです。でも横に大きい人がいます。この人を線路に落とせば5人は助かります。
さああなたは横の人を突き落としますか??
よければ皆様この先読む前にかんがえてみてください。

今度は逆転して一人を救うようです。
数の問題という理屈は矛盾してきますね。




 うちはまた突っ込みたくなるんですが・・・。
だってこの例は無理があるもの[あせあせ(飛び散る汗)]
でもそれは横によけてと。


 例の元某A省大臣も今度は一人を取りました。
理由は「同意がない」です。
あれ~~~!さっきのケースも同意ありませんよ!同意なくても殺していい人行けない人を区別するんですか?区別基準はあなたがするんですね。なんか不安だわ・・・。


どちらも同意ありませんよ。どちらも本来死ななくていい人です。



個々の尊厳か「道徳」か?
うちは個々の尊厳重視です。
一人も5人の中の一人もどちらも個々の尊厳尊重が守られなくてはと思うんです。

「じゃああゆはどうするの!!」と言う声に明確には答えられないです。
言えるのは「5人救うため一人殺すのは正しい!正義だ!」という考えはなしの方向で。

生きようと抵抗する一人に「権利権利言うな!わがままだ!」なんていう思考はあってはならないことです。これはうちのいう右翼思考です。

仮に5人をとっても犠牲になった一人を思いやる気持ち・一人に対する「償い」の思考なくしてはあぶないと思いませんか?
決断した人だけでなく社会全体が「あなたは悪くない、申し訳ないことした」という思考があったほうがいいと思いませんか?

みんなで協力してできるだけ、犠牲にならないように程度が軽くて済むように努力していきませんか?

個々の尊厳・尊重はみんながお互い認め合わないと維持しにくそうです。




マイケルさん関連

無縁社会の話 http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2011-01-29
努力の対価? http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2011-01-03政治哲学
土地は誰のもの? http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2011-01-02-1政治哲学
ひかりごけ http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2011-01-02政治哲学


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shira

 学生時代にいわゆるカルト系の団体の人間とケンカしたことがあります。私が今もって悪い意味でよく覚えているのが、彼らは「大きな善のための小さな悪は許される」と言ってはばからなかったことです。
 とんでもない。何が善で何が悪か、何が小さくて何が大きいか、んなもん簡単に決められるもんですか。
 で、記事中の例題ですが、1はまあ合理的ですが、2はとなりの人を突き落とす道理はどう見てもないです。許されるとすれば、まず自分が飛び込んでみせて、となりの人が追従してくれるのを期待するというところでしょうか。
by shira (2011-03-02 23:03) 

ayu15

shiraさんありがとうございます。その思考はなになに右翼やかつてあった左翼(何とか派とか)の人達がいっているようですね?
事例に少し無理?があるのでマイケルさんの趣旨からどうしても少し外れちゃうんですが、うちはなんとか一人を犠牲にしたくないです。でもなんとかして5名の犠牲も最悪はさけたいです。

判断もさることながら、その後の対応・世論・報道・被害者への思いなどが気になります。「正義」で終わらせてほしくないんです。
by ayu15 (2011-03-03 08:41) 

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