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戦争に正義はあるのでしょうか? [法律・制度]

 以前から書いていますが
世の中には「正義の味方」がいっぱいいるようです。
「正論」言う人もいっぱいいるようです。

そんなにたくさんいるならさぞ安心して生きれるいじめられない社会のはずなんですが・・・。

なぜか悪と正義の数があわないようです。

「正義」に「いじめられ」辛い人もいます。

なんかおかしいわ[がく~(落胆した顔)]
 かつてチャップリンさんは「一人殺せば殺人犯で戦争の名で大勢殺せば英雄だ!」と皮肉ったそうです。

愛国無罪とか「正義」の名で特定の人?らを迫害したり攻撃が後を断ちません。
戦争もテロも多くは自分たちの正義を言ってます。


 個人の事件起きるたび被害者指数と加害者指数が合わないことが気になりますが、国や社会レベルでも合わないようです。





 で、戦争に正義はあるのでしょうか??!です。


まあある意味一理あるような???


政治家も学者も「データ」でみて一般論全体論なんですよね(それがいい悪いでなく)

一個人で見たら「戦争には正義なんてありません。」というのもものすごく納得できます。

聴音兵のお話とかありますが戦争で「右翼化」が進み「おまえらはお国の役にたたないお情けで生きるごくつぶしだ!」という空気が生まれました。
ただでさえ肩身が狭いのに・・。

 どんな立派な大義名分でも人生壊されていく人からみたら悪かもしれません。

国全体・社会全体と一個人の問題があるようにみえるんです。


 大多数?の国は戦争によって成立したような気がします。
その戦争でどういう利益とどういう犠牲が?
利益は経済だけじゃないです。

正義を口にする人の方が犠牲だけでなく「利益」もあるような?
根拠無いただの連想ですが。



 世の中正義の味方がたくさんいます。みな正義をいい戦いたがります。
こんなにもいっぱいいるのに「迫害」され息苦しい人もいます。

いったいどこに「悪」がいるんでしょう???

犯罪でもいつも被害者指数と加害者指数があいません。(うちが勝手につくった概念です)

戦争もあまりにも正義と悪の数があわないです。









 以前こういうの問かけたことがあります。
例えば「民主主義」で多数が特定の人を「けしからんやつらだ!法律作り取り締まろう!密告奨励です」となれば?
極端な例は赤狩り・魔女狩り・ユダヤ人探し・異教徒探し・純粋な多数派民族と自分らが認めない人探し・同性愛・障がい抱えた人など。

多数派を抑制し無条件に人権が保証される憲法が強力に機能しないとえらいことに・・。

でも民主主義でなくても、絶対的力のある人が「それはかわいそうですよ」をそういう声を退けたら??

うちの知る範囲そういう歴史はほとんどありませんが。

現在の国は多くは戦争して相手を支配??してまとめたのかも?
今の私たちには分裂の統一も見たとしても当時の人やそれ以前の人には??
「侵略された」と思うんでしょうか?

もし台湾がずっと日本に残り200年後そこにすむ人はどう思うんでしょう?
昔ヤマト朝廷に征服された東北の人は??当時からみたら「侵略戦争」とも言えるかも??

そもそも国民て?民族って??
明確な境界はないと思えますけど・・・。

うちは個人レベル気になりますが、それを別にして
国レベルだけでみてもわけがわからなくなります。





 で冒頭の話につながりますが、
絶対的支配者だと
国民主権でないですよね。

国民に「権利与えてやるから義務果たしなさい」という感じに(どっかの極東の大国の時期政権狙う政治家にもいそう)

でも国民主権(実態はともかく)だと愛国心教育で国=自分(極端に言うと)となり
戦争に正義の可能性が出るような気がします。

絶対的支配者だと人々はえらいさんの都合でまきぞいくらう被害者で戦争は悪でしかないかも?
でも国民国家なら愛国心教育で国の利益=自分の利益で公私はかさなり自分たちこそ正義と考えるかも?


もううちの能力ではわけわかりません。
正義の味方や正論に「いじめ」られるのはごめんです。




付録


にっし~ Nissyさんがおしえてくださったもの

『君主論』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E4%B8%BB%E8%AB%96
『反マキャヴェリ論』(啓蒙専制君主の代表格・フリードリヒ2世大王の著作!)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%AA%E9%A7%81%E8%AB%96

以下にっし~ Nissyさんが要点を解説してくださっています。

マキャベリは当時の(日本の戦国時代のような状況にあった)イタリアを統一しなければ、いつまでも(あゆ さんのおっしゃるものと多分重なりますが)「悪」は除去されず、戦争がいつまでも続くとみたのでしょう。
そしてフリードリヒ大王はこれに反論しましたが、この直後(つまりフランス革命前)からルソーやモンテスキューが『君主論』への評価を覆し、「君主に教えると見せかけて人民に教えた書」と評価されるようになったとのこと。つまり政治的リーダーの市民に対する責任、と裏読みされるようにもなったというわけです。恐らく、そこで大規模戦争による人民の苦しみを軽減するためには短期間・小規模で「悪」を除去する限定戦争、ということも選択肢に入るのでしょうし、さらにいえば限定戦争さえせずに外交力で勝利することも考えられます(可能なら、そのほうが上策でしょう)。
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shira

 戦争には正義しかないのですよ。すべての勢力は自らの正義を主張しますから。
 世界で一番戦争を繰り返してきたヨーロッパでは、だから正義で戦争を評価してもムダだと理解していて、正義よりも何よりも、とにかく戦争にならないように、なっても被害が少なく済むようにあれこれ考えるという姿勢が主流です。日本とアメリカはそういう点でかなり無邪気なところがあります。
by shira (2012-11-26 20:43) 

ayu15

shiraさん、ナイスとコメントありがとうございます。
ハマスやアルカイダのテロ行為でさえ「正義」を名乗ってますねえ。
世界中正義だらけです。

その正義に殺されたり迫害されたりする人は「悪」なんでしょうか?

どうみても正義と悪の数が合わなさすぎです。


戦争やテロに限らず正義や正論にいじめられたり、それから身を守ろうとする人を非難するような社会は怖いです。
by ayu15 (2012-11-28 08:47) 

ayu15


hmさん
ランさん
Moselさん
xml_xslさん
ナイスありがとうございます。

個人レベルで自分は相手を攻撃していなくても、集団の「正義の味方」からの攻撃で深刻なことになったら???




by ayu15 (2012-11-28 08:51) 

あいこ

んん・・・いつも、ブログを拝見していて、考えさせられることが多いのですが・・・戦争に関しては、時々思うのです、戦争は何を生み出すのか・・・
わが子の時代に戦争は本当に起きないのかと・・・戦争って私たち知らないですものね・・・正義か悪かだなんて・・・それも、私には・・・タダタダ怒らないでほしい。
by あいこ (2012-12-05 23:46) 

ayu15


あいこさんコメントとナイスありがとうございます。

  戦争はいろいろ生み出すでしょうけど、やはり憎しみと悲しみ・悲劇を膨大な数生み出すように思えます。一定範囲に個体が一定以上増えると(つまり人口密度高くなると自殺行為がふえるという理論があります。
誰か狙いやすい状態の人を「悪」とよび集団でバッシングをして排除していくものです。
これを通称「レミングの群れ」と呼んでいます。

この立場が脆弱な状態の人に対する空気は普通の人が集まっても「悪魔」のようにかえていくようです。
http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2009-05-08

戦争は国単位・宗派単位・民族単位などで「全体」で「正義」と「悪」で区別しちゃうようです。義務や我慢を強調しだすようです。
そこには個々の人の尊厳や尊重は無力です。

 レッテルはられ区別され家族・友人・知人はついこの前まで共に鍋を囲み語り合っていたのに、それはもろくも崩されていきます。
(友情   http://blog.so-net.ne.jp/life-ayu/2007-07-21-1


戦争はある人には「正義」でも家族や友人・知人を壊し、多くの人がある面で加害者にされある面で被害者になっていきます。

憎しみが憎しみを生んでいきもう誰も責任持てる能力がない巨大な悲劇の塊が生まれていくようです。

いろいろ理由あるでしょうけど、人の手で誰がやっても解決できない悲劇を人の意思でやる意味があるんでしょうか?

 弱腰と批判し威勢のいいこという人が増えるにつれ不安が高まっていくんです。


by ayu15 (2012-12-07 13:36) 

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