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祝日です~  憲法記念日 [法律・制度]

 連休真っただ中の3日は憲法記念日です。国のお祝いです。
でも国って??

建国記念日も憲法記念日も論争が起きもめてます。

まあ押し付けか違うのかうちにはどうでもいいんですが・・・。
まあ護憲か改憲かもなんかねえ・・・。


靖国YASUKUNI http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2008-05-16
では参拝の是非で大論争みたいです。




国旗・国歌て? 
http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2009-07-11
国旗国歌を強制することの賛否も論争です。



国ってなあに?????

ニワトリが先か卵が先か?
国がないと社会保障もできないですよね。ないと困ります。でも国のために私たちはあるの??

規律秩序のために私たちは生きているの??
多数派の都合いいなら少数派を犠牲にしていいの?
犠牲になるのを嫌がる人を「わがままだ」と批判していいの?
犠牲になる義務なんて課していいの?

儲けるためなら安全基準下げていいの?
人のことより自分らのもうけでいいの?


極端にすると
国があって私たちは国や社会を維持する部品?
それとも、自分があって儲けるためには国も社会も利用するためのもの?
う~~ん・・・。


黙って行かせてhttp://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2007-08-22-7
ではこうあります。
「当時はイギリス・フランスとドイツを狙っていたのよ。かげで操るのはユダヤ人どもよ」
置き換えると(日本を狙ってたのよ。かげであやつるのは反日の中韓・左翼よ)
「ヒトラー総統はドイツ経済を立て直し、民族の誇りを取り戻した。」
「国が滅びたら家族はないでしょう!」
「私は国のために捧げた。それは誇り」

どうですか????
国や社会の都合で家族作れないとか壊されたらどうなんでしょうねえ
友と一緒に生きる    同性婚・飲酒・ダンス・国歌http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2013-04-24

アメリカはというと
小さい政府もとめるリバタリアン思想があります。
とにかく政府規制を嫌がります。
政権に「憲法守れ!」とよく迫ります。
日本の自民党なんてかれらにしたらとんでもない政党でしょうね。


アメリカは国よりまずさきに自分たちがいたんですよ。



国民主権のはずなのに
公共の福祉という言葉がたぶん3つほど出てます。
後、義務まで出てます。
公てなあに??
公て?      http://blog.so-net.ne.jp/life-ayu/2007-07-20-2津久井さんのブログにありました。
それが今日のテーマです。



なんか書かれてるのが長いし難しいし・・・[あせあせ(飛び散る汗)]




まあなんとなくですが

戦前の感覚の方なので

国体維持
天皇家守る

そのためには帝国憲法でなく
新しい平和憲法人権憲法をこちらから提示して

アメリカの脅威にはならないが優秀な日本を見せつけるという感じ??
帝国憲法にしがみついたらこの先やばいから外圧利用して生まれ変わろうという感じ?



津久井さんによると

 北朝鮮憲法67条では,“公民は国家の法を徹底的に守らなければならない”
とあります。
人の振り見て我がふり直せシリーズで何本か日記書いてます。

人の振り見て我がふり直せ http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2008-04-05
これみてどうですか?

共産主義国なので「左」と一般的にいわれますが
どうみても人権より個々の尊厳より
規律・民族・国が大事に見えます。

権力握れば(空気できれば)たいていの法律作れます。
法で人権も奪えるんですよ。
{奪う側はそれを正義と言う}

それに対する唯一の法的歯止めは憲法です。


 権力もつとルールを作り人に従わせることができます。でもその人をしばれるのは憲法だけです。法は自分らが作るんですから。
人には厳罰で臨み自分を縛る憲法は「破棄せよ」なんてむちゃくちゃですよ。
ルールはルールだと誰かさんが http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2012-06-16






憲法は
国が国民に与えるもの?            国民が国に課すもの?
国民の義務?                   国の義務
国家主権?                     国民主権?
多数の都合で少数の人を犠牲にする?   少数の人にも配慮する?
自分たちOK あなたは×            自分もあなたもOK


国を目で見える形に表すのは国旗かも。
音であらわすのは国歌かも。
じゃあ中身を文であらわすのは憲法でしょう。

愛し方はいろいろでしょうね。




国てなに?何のために??
よ~~~く考えてくださいね。
根幹ルールである憲法て???
国民主権の憲法を政治家が守れなくてどうするんでしょう?



もしあなたの家族や友人が少数派にされ自殺に追い込まれたら??
そうならないように空気にも負けない唯一の砦が憲法だということ忘れずにいてくださいね。
http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2007-07-21-1











http://tukui.blog55.fc2.com/blog-entry-915.html#more

以下記事より転載

- 平 野 三 郎 氏 記-
憲法調査会事務局



はしがき

 この資料は、元衆議院議員平野三郎氏が、故幣原喜重郎氏から聴取した、戦争放棄条項等の生まれた事情を記したものを、当調査会事務局において印刷に付したものである。

 なお、この資料は、第一部・第二部に分かれているが、第一部・第二部それぞれの性格については、平野氏の付されたまえがきを参照されたい。

  昭和三十九年二月

          憲法調査会事務局




第一部

 私が幣原先生から憲法についてのお話を伺ったのは、昭和二十六年二月下旬のことである。

同年三月十日、先生が急逝される旬日ほど前のことであった。場所は世田谷区岡本町の幣原邸であり、時間は二時間ぐらいであった。

 側近にあった私は、常に謦咳にふれる機会はあったが、まとまったお話を承ったのは当日だけであり、当日は、私が戦争放棄条項や天皇の地位について日頃疑問に思っていた点を中心にお尋ねし、これについて幣原先生にお答え願ったのである。

その内容については、その後まもなくメモを作成したのであるが、以下はそのメモのうち、これらの条項の生まれた事情に関する部分を整理したものである。

 なお、当日の幣原先生のお話の内容については、このメモにもあるように口外しないようにいわれたのであるが、昨今の憲法制定の経緯に関する論議の状況にかんがみてあえて公にすることにしたのである。


問 かねがね先生にお尋ねしたいと思っていましたが、幸い今日はお閑のようですから是非うけたまわりたいと存じます。
実は憲法のことですが、私には第九条の意味がよく分りません。あれは現在占領下の暫定的な規定ですか、それなら了解できますが、そうすると何れ独立の暁には当然憲法の再改正をすることになる訳ですか。

答 いや、そうではない。あれは一時的なものではなく、長い間僕が考えた末の最終的な結論というようなものだ。


問 そうしますと一体どういうことになるのですか。軍隊のない丸裸のところへ敵が攻めてきたら、どうする訳なのですか。

答 それは死中に活だよ。一口に言えばそういうことになる。

問 死中に活といいますと・・・・・。

答 たしかに今までの常識ではこれはおかしいことだ。
しかし原子爆弾というものができた以上、世界の事情は根本的に変わって終ったと僕は思う。
何故ならこの兵器は今後更に幾十倍幾百倍と発達するだろうからだ。
恐らく次の戦争は短時間のうちに交戦国の大小都市が悉く灰燼に帰して終うことになるだろう。
そうなれば世界は真剣に戦争をやめることを考えなければならない。
そして戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる。

問 しかし日本だけがやめても仕様がないのではありませんか。

答 そうだ。世界中がやめなければ,ほんとうの平和は実現できない。しかし実際問題として世界中が武器を持たないという真空状態を考えることはできない。

 それについては僕の考えを少し話さなければならないが、僕は世界は結局一つにならなければならないと思う。
つまり世界政府だ。
世界政府と言っても、凡ての国がその主権を捨てて一つの政府の傘下に集まるというようなことは空想だろう。
だが何らかの形における世界の連合方式というものが絶対に必要になる。
何故なら、世界政府とまでは行かなくとも、少なくも各国の交戦権を制限し得る集中した武力がなければ世界の平和は保たれないからである。

凡そ人間と人間、国家と国家の間の紛争は最後は腕づくで解決する外はないのだから、どうしても武力は必要である。
しかしその武力は一個に統一されなければならない。
二個以上の武力が存在し、その間に争いが発生する場合、一応は平和的交渉が行われるが、交渉の背後に武力が控えている以上、結局は武力が行使されるか、少なくとも武力が威嚇手段として行使される。
したがって勝利を得んがためには、武力を強化しなければならなくなり、かくて二個以上の武力間には無限の軍拡競争が展開され遂に武力衝突を引き起こす。

すなわち戦争をなくするための基本的条件は武力の統一であって、例えばある協定の下で軍縮が達成され、その協定を有効ならしむるために必要な国々か進んで且つ誠意をもってそれに参加している状態、この条件の下で各国の軍備が国内治安を保つに必要な警察力の程度にまで縮小され、国際的に管理された武力が存在し、それに反対して結束するかもしれない如何なる武力の組み合わせよりも強力である、というような世界である。

 そういう世界は歴史上存在している。
ローマ帝国などがそうであったが、何より記録的な世界政府を作ったものは日本である。
徳川家康が開いた三百年の単一政府がそれである。
この例は世界を維持する唯一の手段が武力の統一であることを示している。
 要するに世界平和を可能にする姿は、何らかの国際機関がやがて世界同盟とでも言うべきものに発展しその同盟が国際的に統一された武力を所有して世界警察としての行為を行うほかはない。

このことは理論的に昔から分かっていたことであるが、今まではやれなかった。
しかし原子爆弾というものが出現した以上、いよいよこの理論を現実に移す秋が来たと僕は信じた訳だ。

問 それは誠に結構な理想ですが、そのような大問題は大国同志が国際的に話し合って決めることで、日本のような敗戦国がそんな偉そうなことを言ってみたところでどうにもならぬのではないですか。

答 そこだよ、君。
負けた国が負けたからそういうことを言うと人は言うだろう。
君の言うとおり正にそうだ。
しかし負けた日本だからこそできることなのだ。

おそらく世界には大戦争はもうあるまい。
もちろん、戦争の危機は今後むしろ増大すると思われるが、原子爆弾という異常に発達した武器が、戦争そのものを抑制するからである。
第二次世界大戦が人類が全滅を避けて戦うことのできた最後の機会になると僕は思う。
如何に各国がその権利の発展を理想として叫び合ったところで、第三次世界大戦が相互の破滅を意味するならば、いかなる理想も人類の生存には優先しないことを各国とも理解するからである。

 したがって各国はそれぞれ世界同盟の中へ溶け込む外はないが、そこで問題はどのような方法と時間を通じて世界がその死顎の理想に到達するかということにある。
人類は有史以来最大の危機を通過する訳だがその間どんなことが起こるか、それはほとんど予想できない難しい問題だが、唯一つ断言できることは、その成否は一に軍縮にかかっているということだ。
もしも有効な軍縮協定ができなければ戦争は必然に起こるだろう。
既に言った通り、軍拡競争というものは際限のない悪循環を繰り返すからだ。
常に相手より少しでも優越した状態に己を位置しない限り安心できない。
この心理は果てしなく拡がって行き何時かは破綻が起る。
すなわち協定なき世界は静かな戦争という状態であり、それは嵐の前の静けさでしかなく、その静けさがどれだけ持ちこたえるかは結局時間の問題に過ぎないとい恐るべき不安状態の連続になるのである。

 そこで軍縮は可能か、どのようにして軍縮をするかということだが、僕は軍縮を身をもって体験してきた。
世の中に軍縮ほど難しいものはない。
交渉に当たるものに与えられる任務は如何にして相手を欺瞞するかにある。
国家というものは極端なエゴイストであって、そのエゴイズムが最も狡猾で悪らつな狐狸となることを交渉者に要求する。
虚虚実実千変万化、軍縮会議に展開される交渉の舞台裏を覗きみるなら、何人も戦慄を禁じ得ないだろう。
軍縮交渉とは形を変えた戦争である。
平和の名をもってする別個の戦争であって、円滑な合意に達する可能性など初めからないものなのだ。

 原子爆弾が登場した以上、次の戦争が何を意味するか、各国とも分るから、軍縮交渉は行われるだろう。
むしろ軍縮交渉は合法的スパイ活動の場面として利用される程である。
不振と猜疑が亡くならない限りそれは止むを得ないことであって、連鎖反応は連鎖反応を生み、原子爆弾は世界中に拡がり、終りには大変なことになり、遂には身動きもできないような瀬戸際に追いつめられるだろう。

 そのような瀬戸際に追いつめれても各国はなお異口同音に言うだろう。
軍拡競争は一刻も早く止めなければならぬ。
それは分っている。
分ってはいるがどうしたらいいのだ。

自衛のためには力が必要だ。
相手がやることは自分もやらねばならぬ。
相手が持っているものは自分も持たねばならぬ。

その結果がどうなるか、そんなことは分らない。
自分だけではない。誰にも分らないことである。
とにかく自分は自分の言うべきことを言っているより仕方はないのだ。
責任は自分にはない。
どんなことが起ろうと、責任は凡て相手方にあるのだ。

 果てしない堂々巡りである。
誰にも手のつけられないどうしようもないことである。
集団自殺の先陣争いと知りつつも、一歩でも前へ出ずにはいられない鼠の大群と似た光景―それが軍拡競争の果ての姿であろう。

 要するに軍縮は不可能である。
絶望とはこのことであろう。
唯もし軍縮を可能にする方法があるとすれば一つだけ方法がある。
それは世界が一せいに一切の軍備を廃止することである。

 一、二、三の掛け声もろともすべての国が兵器を海に投ずるならば、忽ち軍縮は完成するだろう。
もちろん不可能である。
それが不可能なら不可能なのだ。

ここまで考えを進めてきたときに、九条というものが思い浮かんだのである。
そうだ。
誰かが自発的に武器を捨てるとしたらー 最初それは脳裏をかすめたひらめきのようなものだった。
次の瞬間、直ぐ僕は思い直した。
自分は何を考えようとしているのだ。
相手はピストルをもっている。
その前にはだかのからだをさらそうと言う。
なんという馬鹿げたことだ。
恐ろしいことだ。
自分はどうかしたのではないか。
もしこんなことを人前で言ったら、幣原は気が狂ったと言われるだろう。まさに狂気の沙汰である。

 しかしそのひらめきは僕の頭の中でとまらなかった。
どう考えてみても、これは誰かがやらなければならないことである。
恐らくあのとき僕を決心させたものは僕の一生のさまざまな体験ではなかったかと思う。
何のために戦争に反対し、何のために命を賭けて平和を守ろうとしてきたのか。
今だ。
今こそ平和だ。
今こそ平和のために起つときではないか。
そのために生きてきたのではなかったか。
そして僕は平和の鍵を握っていたのだ。
何か僕は天命をさずかったような気がしていた。

 非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。
だが今では正気の沙汰とは何かということである。
武装宣言が正気の沙汰か、それこそ狂気の沙汰だという結論は、考えに考え抜いた結果もう出ている。

 要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。
何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。
これは素晴らしい狂人である。世界史の扉を開く狂人である。
その歴史的使命を日本が果たすのだ。

 日本民族は幾世紀もの間、戦争に勝ち続け、最も戦闘的に戦いを追求する神の民族と信じてきた。
神の信条は武力である。
その神は今や一挙に下界に墜落した訳だが、僕は第九条によって日本民族は依然として神の民族だと思う。
何故なら武力は神でなくなったからである。
神でないばかりか、原子爆弾という武力は悪魔である。
日本人はその悪魔を投げ捨てることによって再び神の民族になるのだ。
すなわち日本はこの神の声を世界に宣言するのだ。
それが歴史の大道である。
悠々とこの大道を行けばよい。
死中に活というのはその意味である。

問 お話の通りやがて世界はそうなると思いますが、それは遠い将来のことでしょう。
しかしその日が来るまではどうする訳ですか。
目下のところは差当りは問題ないとしても、他日、独立した場合、敵が口実をつけて侵略したらです。

答 その場合でもこの精神を貫くべきだと僕は信じている。
そうでなければ今までの戦争の歴史を繰り返すだけである。
しかも次の戦争は今までとはわけが違う。
僕は第九条を堅持することが日本の安全のためにも必要だと思う。

もちろん軍隊をもたないと言っても警察は別である。
警察のない社会は考えられない。
とくに世界の一員として将来世界警察への分担負担は当然負わなければならない。
しかし強大な武力と対抗する陸海空軍というものは有害無益だ。
僕は我国の自衛は徹頭徹尾正義の力でなければならないと思う。
その正義とは日本だけの主観的な独断ではなく、世界の公平な与論によって裏付けされたものでなければならない。
そうした与論が国際的に形成されるように必ずなるだろう。
何故なら世界の秩序を維持する必要があるからである。

もしある国が日本を侵略しようとするそのことが世界の秩序を破壊する恐れがあるとすれば、それによって脅威を受ける第三国は黙っていない。
その第三国との特定の保護条約生むにかかわらず、その第三国は当然日本の安全のために必要な努力をするだろう。
要するにこれからは世界的視野に立った外交の力によってわが国の安全を守るべきで、だからこそ死中に活があるという訳だ


問 よく分りました。そうしますと憲法は先生の独自の御判断で出来たものですか。
一般に信じられているところは、マッカーサー元帥の命令の結果ということになっています。
もっとも草案は勧告という形で日本に本に提示された訳ですが、あの勧告に従わなければ天皇の身体も保証できないという恫喝があったのですから事実上命令に外ならなかったと思いますが。

答 そのことは此処だけの話にしておいて貰わねばならないが、実はあの年(昭和二十年)の春から正月にかけ僕は風邪をひいて寝込んだ。
僕が決心をしたのはその時である。

それに僕には天皇制を維持するという重大な使命があった。
元来、第九条のようなことを日本側から言い出すようなことは出来るものではない。
まして天皇の問題に至っては尚更である。
この二つに密接にからみ合っていた。
実に重大な段階であった。

幸いマッカーサーは天皇制を維持する気持ちをもっていた。
本国からもその線の命令があり、アメリカの肚は決まっていた。
所がアメリカにとって厄介な問題があった。
それは豪州やニュージーランドなどが、天皇の問題に関してはソ連に同調する気配を示したことである。
これらの国々は日本を極度に恐れていた。
日本が再軍備したら大変である。
戦争中の日本軍の行動はあまりにも彼らの心胆を寒からしめたから無理もないことであった。
日本人は天皇のためなら平気で死んでいく。
殊に彼らに与えていた印象は、天皇と戦争の不可分とも言うべき関係であった。
これらの国々はソ連への同調によって、対日理事会の評決ではアメリカは孤立する恐れがあった。

この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えた訳である。

 豪州その他の国々は日本の再軍備化を恐れるのであって、天皇制そのものを問題にしている訳ではない。
故に戦争が放棄された上で、単に名目的に天皇が存続するだけなら、戦争の権化としての天皇は消滅するから、彼らの対象とする天皇制は廃止されたと同然である。
もともとアメリカ側である豪州その他の諸国は、この案ならばアメリカと歩調を揃え、逆にソ連を孤立させることができる。

 この構想は天皇制を存続すると共に第九条を実現する言わば一石二鳥の名案である。
もっとも天皇制存即と言ってもシムボルということになった訳だが、僕はもともと天皇はそうあるべきものと思っていた。
元来天皇は権力の座になかったのであり、またなかったからこそ続いていたのだ。
もし天皇が権力をもったら、何かの失政があった場合、当然責任問題が起って倒れる。
世襲制度である以上、常に偉人ばかりとは限らない。
日の丸は日本の象徴であるが、天皇は日の丸の旗を維持する神主のようなものであって、むしろそれが天皇本来の昔に戻ったものであり、その方が天皇のためにも日本のためにも良いと僕は思う。

 この考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮にも日本側からこんなことを口にすることは出来なかった。
憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。

 そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出してもらうように決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。
松本君にさえも打ち明けることのできないことである。

幸い僕の風邪は肺炎ということで元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰いそれによって全快した。
そのお礼ということで僕が元帥を訪問したのである。
それは昭和二一年の一月二四日である。
その日僕は元帥と二人きりで長い時間話し込んだ。
すべてはそこで決まった訳だ。

問 元帥は簡単に承知されたのですか。

答 マッカーサーは非常に困った立場にいたが、僕の案は元帥の立場を打開するものだから、渡りに舟というか、話はうまく行った訳だ。
しかし第九条の永久的な規定ということには彼も驚いていたようであった。
僕としても軍人である彼が直ぐには賛成しまいと思ったので、その意味のことを初めに言ったが、賢明な元帥は最後には非常に理解して感激した面持ちで僕に握手した程であった。

 元帥が躊躇した大きな理由は、アメリカの侵略に対する将来の考慮と、共産主義者に対する影響の二点であった。
それについて僕は言った。

 日米親善は必ずしも軍事一体化ではない。
日本がアメリカの尖兵となることが果たしてアメリカのためであろうか。
原子爆弾はやがて他国にも波及するだろう。
次の戦争は想像に絶する。
世界は亡びるかも知れない。
世界が亡びればアメリカも亡びる。
問題は今やアメリカでもロシアでも日本でもない。
問題は世界である。
いかにして世界の運命を切り拓くかである。
日本がアメリカと全く同じものになったら誰が世界の運命を切り拓くかである。
日本がアメリカと全く同じものになったらだれが世界の運命を切り拓くか。
 好むと好まざるにかかわらず、世界は一つの世界に向って進む外はない。
来るべき戦争の終着駅は破滅的悲劇でしかないからである。
その悲劇を救う唯一の手段は軍縮であるが、ほとんど不可能とも言うべき軍縮を可能にする突破口は自発的戦争放棄国の出現を期待する以外にないであろう。
同時にそのような戦争放棄国の出現もまた空想に近いが、幸か不幸か、日本は今その役割を果たしうる位置にある。
歴史の偶然は日本に世界史的任務を受けもつ機会を与えたのである。
貴下さえ賛成するなら、現段階における日本の戦争放棄は対外的にも対内的にも承認される可能性がある。
歴史の偶然を今こそ利用する時である。
そして日本をして自主的に行動させることが世界を救い、したがってアメリカをも救う唯一の道ではないか。

 また日本の戦争放棄が共産主義者に有利な口実を与えるという危険は実際ありうる。
しかしより大きな危険から遠ざかる方が大切であろう。
世界はここ当分資本主義と共産主義の宿敵の対決を続けるだろうが、イデオロギーは絶対的に不動のものではない。
それを不動のものと考えることが世界を混乱させるのである。
未来を約束するものは、たえず新しい思想に向って創造発展していく道だけである。
共産主義者は今のところはまだマルクスとレーニンの主義を絶対的真理であるかのごとく考えているが、そのような論理や予言はやがて歴史のかなたに埋没してしまうだろう。
現にアメリカの資本主義が共産主義者の理論的攻撃にもかかわらずいささかの動揺も示さないのは、資本主義がそうした理論に先行して自らを創造発展せしめたからである。
それと同様に共産主義のイデオロギーもいずれ全く変貌してしまうだろう。
いずれにせよ、ほんとうの敵はロシアでも共産主義でもない。

 このことはやがてロシア人も気付くだろう。
彼らの敵もアメリカでもなく資本主義でもないのである。世界の共通の敵は戦争それ自体である。


問 天皇陛下はどのように考えておかれるのですか。

答 僕は天皇陛下は実に偉い人だと今もしみじみと思っている。
マッカーサーの草案をもって天皇の御意見を伺いに行った時、実は陛下に反対されたらどうしようかと内心不安でならなかった。
僕は元帥と会うときはいつも二人きりだったが、陛下の時は吉田君にも立ち会ってもらった。
しかし心配は無用だった。
陛下は言下に、徹底した改革案を作れ、その結果天皇がどうなってもかまわぬ、といわれた。

この英断で閣議も納まった。
終戦の御前会議の時も陛下の御裁断で日本は救われたと言えるが、憲法も陛下の一言が決したと言ってもよいだろう。

もしあのとき天皇が権力に固執されたらどうなっていたか。
恐らく今日天皇はなかったであろう。
日本人の常識として天皇が戦争犯罪人になるというようなことは考えられないであろうが、実際はそんな甘いものではなかった。
当初の戦犯リストには冒頭に天皇の名があったのである。
それを外してくれたのは元帥であった。
だが元帥の草案に天皇が反対されたなら、情勢は一変していたに違いない。
天皇は己を捨てて国民を救おうとさらのであったが、それによって天皇制をも救われたのである。天皇は誠に英明であった。

 正直に言って憲法は天皇と元帥の聡明と勇断によって出来たと言ってよい。
たとえ象徴とは言え,天皇と元帥が一致しなかったら天皇制は存続しなかったろう。
危機一髪であったと言えるが、結果において僕は満足している。

 なお念のためだが、君も知っている通り、去年金森君から聞かれた時も僕が断ったように、このいきさつは僕の胸の中だけに留めておかねばならないことだから、その積りでいてくれ給え。

以上




デモは迷惑?  相手にも優しさを http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2012-10-04
空気読んでより、相手に配慮(特にまな板の上に乗せられた人に)するほうがよくないですか?



同じ作るなら他者を認めて温かく迎える空気作りましょうよ!!!
一人の男性の悲しい死http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2013-02-09
こういう悲劇にならないように。




束縛魔のダーみたいな・・ http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2008-02-16-3学習指導要領
束縛魔のダーリン  クリスマス編 http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2012-12-10
ダーリン http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2012-12-03

命のビザ http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2008-01-18-2人間の尊厳を守った外交官

憲法改正http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2007-08-22
道政分離 http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2007-11-07-2
「負けるまで」メディアも庶民も賛成だった http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2012-08-27
「厳罰」はやめましょうね http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2012-06-27
名文 http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2012-06-30


ルールはルールだと誰かさんが http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2012-06-16

友と一緒に生きる    同性婚・飲酒・ダンス・国歌http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2013-04-24

靖国YASUKUNI (http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2008-05-16
国旗・国歌て? http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2009-07-11
黙って行かせてhttp://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2007-08-22-7
公て?      http://blog.so-net.ne.jp/life-ayu/2007-07-20-2
一人の男性の悲しい死http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2013-02-09




付録

自民党憲法案と現行憲法

http://www.jimin.jp/policy/policy_topics/pdf/seisaku-109.pdf


第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない


第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。







第十三条 全て国民は、として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。


第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。








第十一条 国民は、全ての基本的人権を享有する。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利である。


第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。








第十四条 全て国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、障害の有無、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
2 華族その他の貴族の制度は、認めない。
3 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。



第十四条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

② 華族その他の貴族の制度は、これを認めない。
③ 栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。





第十八条 何人も、その意に反すると否とにかかわらず、社会的又は経済的関係において身体を拘束されない。
2 何人も、犯罪による処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。


第十八条 何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。




第十九条 思想及び良心の自由は、保障する


第十九条 思想及び良心の自由は、これを侵してはならない



第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。 3 検閲は、してはならない。通信の秘密は、侵してはならない。



第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する

② 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。



第百二条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。  
2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負ふ。

第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し、擁護する義務を負ふ。
以上抜粋


ところで戦前法をみなおそうとなぜこの人たちは積極的にしないんでしょう?
より古いのにねえ。




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ayu15

みなさんナイスありがとうございます。
みなさんもみなさん以外も誰もが社会的にも生きれることが守られる、例え病気や障害抱えても少数派になっても生きられる、そんな憲法に成長しますように。
by ayu15 (2013-05-23 06:59) 

ayu15

憲法はオープンな規定であるがゆえに長く使える条文が中心といえるようです。

これは人権意識が高い政治や社会だと
前向きに解釈し法律で新たな人権に対応の余地があるでしょう。



 でも問題なのが、○○党とか「保守」派とかネット世論には後ろ向きにみえるものが・・・。
自民議員は差別偏見廃止に反対だというアンケート結果もあるそうです。


新たな人権に不十分どころか、
今の人権すら否定はされないでしょうけど条件付きにされかねないと思えます。


でも細かく規定すると長持ちしませんよね。




 うちは社会生活権の確立を夢見ます。

 誰もが存在否定されることなく社会的に生存し、社会的生活ができる素敵な国や社会)にと思います。


 でも現憲法は機能が十分でないようです。
先日もやっと非嫡出子「差別」がいけないとされる遅さです。
弁護士接見。(先日やっと判決)
父親と認定。(先日やっと判決)
どちらもまだ不十分の声も?
同性婚
(これに至っては両性の合意という条文欠陥が・・・。)
他にもいっぱいあります。


 社会全体と違い、当事者には10年20年なんてまてない差し迫った問題です。

これらでつらい思いされている人も救うには
憲法はどうあるものでしょう?




 辛くて自殺を考え他なんて聞くたびほんと悲しくなります。
もし法や制度に妨げがあるなら、「差別」を助長してる面あるなら、なんとか改善をと思います。

by ayu15 (2014-01-17 16:00) 

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