ナツひとり [おはなし]
移民で、ブラジルと日本と、家族と離れ離れになり連絡とれないながらも、戦後の混乱と復興の時代を生き抜いてきたひとりの女の半生の物語です。 原作は超売れっ子の橋田壽賀子さんです。
脚本・監督・演出は小劇場出身のマキノノゾミさんです。
仲間由紀恵さん主演で座長です。 共演は宇津井 健さん・生瀬 勝久さんらです。
東京・新橋演舞場2007年11月の公演です。
イーゴリ公 [おはなし]
イーゴリ公て、誰かしってる人ぉ~~?
はぃ。ボロディンさんの曲にでてくるロシアの将軍です。
ダッタン人の踊りが有名なんです。このダッタン人て?政治的、歴史的はともかくとして、この作品の中でのダッタン人は遊牧民全般では?という説が最有力らしいです。
当時ロシアは遊牧民とあらそってたそうですが、ロシアは劣勢で遊牧民に捕まったことになっています。ダッタン人の踊りは遊牧民のリーダーを称えています。
この時、イーゴリ公に「自由にしてあげるから、和睦して同盟結ぼう」と提案したそうです。イーゴリ公は「自由になったら再びあなたと戦うだろう」と答えたそうです。
うちには理解不能です。何で争い殺しあうの?どちらかを屈服させなければいけないの?和睦すればこれ以上争わなくてもいいのに。
音楽史からみて、グリンカさんからロシア近代音楽(いわゆるクラシック音楽)は始まります。チャイコフスキーさんら超有名な作曲家もでてきます。デアギレフさんのプロデュースでバレエが本場フランス顔負け(生まれはイタリア)に盛んになります。
このころロシアは政治上近代化政策せ西欧式近代国家になっていこうとした時期らしいです。銃火気・鉄・車を手にしたロシア人といわれる人々は周囲の遊牧民やエウキモーーなどの人を服従させ、シベリアを支配していったそうです。
イーゴリ公のころのダッタン人の人達はまさか、後にロシアに占領され支配されるなんて夢にも思ってなかったでしょうね。
遊牧民は定住しない土地にしがみつかない、ある意味、ある部分ではで自由人かも?ロシアは農奴(農民奴隷)を支配する国です。土地を囲い込み他を排除するのと、土地を共有し自由に移動する人々のアメリカ大陸をなんか連想しました。 良い悪いでなく、近代国家・市場経済が非常に重要な世界化は移動生活者の社会環境には不向きなのでしょうか。
明治おばけ暦 [おはなし]
今までの日記リストです。 http://blog.so-net.ne.jp/life-ayu/2007-08-16-7
明治おばけ暦
山本むつみ さん作です。
明治の改暦を、明治初期の有名無名の人々の行動を通して、政府の都合で改革が行なわれて、そのしわ寄せの憤りの矛先が見えない弱者の不安などを お芝居調に描かれています。
鍛錬 [おはなし]
作者は忘れましたけど、本のなかにこういう短編があります。主人公は文面からすると、兄弟のようです。 興味深いのは2人で一つの台詞話しているんです。
1 体の鍛錬
「おばあちゃんはごつごつと骨ばった手なぼででぼくらをぶつ。」と兄弟は言います。他の人からも暴力うけています。痛くてないてしまいます。 これに対して兄弟のしたことは、痛みに耐えられるように体を鍛えようと決意したんです。御互い鞭うちあう・殴りあう・ナイフ突き立てるなどです。 人にぶたれると、「聖書に書かれている通りもう片方の頬をだすよ。さあぶって!」と。 それきいたおばあちゃんは言います。「お前達なんかその聖書だの頬だのと一緒に悪魔にさらわれてしまえ!」
こういうお話です。
2 乞食の練習
やぶれた汚い衣類を身にまとい裸足になり顔と手をわざと汚して、街頭でたってます。 進駐軍将校が通る時敬礼して、左手差し出します。硬貨一枚とチョコのかけらくれます。 ひとりの婦人が通りがかります。「かわいそうにね・・・。私にはあげられるものが何一つないのよ」彼女は兄弟の髪をなでました。 別の婦人が林檎二個 、また別の人がビスケットくれました。 また一人の婦人が通りがかり、「家にきなさい。仕事してくれたらスープとパンをあげます」と。兄弟は「ぼくらはおくさんの御用を足すために働く気はありません。あなたのスープもパンも要りません。」と。この兄弟はひとの反応観察するためにやっているというんです。婦人は怒っていってしまいます。兄弟は帰りに林檎・ビスケット・チョコ・硬貨を道端の草むらに投げ捨てました。 でも髪にうけた愛撫だけは棄てる事ができませんでした。 こういうお話です。
3 精神の鍛錬
冒頭から、いきなり、ひどい言葉が連発されます。それらは、人々から兄弟にむけられたものです。
兄弟は向かい合い、御互い惨さを増す言葉を浴びせあいます。毎日およそ半時間ずつ鍛錬します。それから町にでて故意に人々の罵倒を誘います。そしてとうとうどんな言葉にも動じないでいられるようになったことを確認します。
以前において記憶に残っているのは、「私の愛らしい子!最愛の子!・・・」これら思い出すと兄弟の目には涙があふれます。でも今はだれひとりこういう言葉をかけてくれません。
兄弟は別のやり方で鍛錬を開始します。「私の愛らしい子・・・」幾度も繰り返し、言葉はすこしづつ意味うしない、言葉のもたらす痛みもやわらぐんです。 こういうお話です。
光事件をはじめてして、悲劇の連鎖が後たちません。辛い思いした人が、耐え切れず、踏み外してしまい、別の人にさらに大きな辛い思いさせてしまうんです。行き着く先は光事件のような残忍なものになっていきます。 この兄弟は、社会的にも認められず、誰も信用できなくて自分達だけでかかえこみ、乗り切ろうとしているのかも。 この兄弟が必要なのは、道徳よりも、広い意味での愛してあげる事、愛されてると感じさせてあげることなのかもしれません。
豆腐と花束 [おはなし]
近年人材は使い捨て消耗品の時代になってきました。その時必要な人を重視するようです。もはや会社は「家族」ではないようです。高度成長を作ってきた団塊の世代の人が次々退職していきます。地域差も開き、東京と名古屋に集まり、関西をはじめ他の地域の地盤沈下が問題視されています。
この物語はある大阪のローカルデパートでのお話です。
「豆腐と花束」【作】吉村 ゆう さんです。
コミュニケーション力 [おはなし]
- 夕立のテレパス -
【作】オカモト國ヒコ
御堂奈津子…大路 恵美
男…内田 健介
佐竹…久保田 浩
あらすじです。
御堂奈津子さんはテレパス能力があります。どんなのかというと雨とがでぬれると、ぬれている人達の心が伝わってくるんです。「便利だわ」て?そんなことないみたいです。
ある日、男の人の強い思いを察知して、その現場を探してそこに行こうとします。その男の人は研究バカで篭っていて友人がいないんです。人からもあいてにされず、孤独にもくもくと研究しています。(研究は成功してます)ある日テレパス能力を得てしまい、唯一の友人と言えるビジネスパートナー(多分経営者)の佐竹さんが孤独な自分をからかっていると感じます。
彼には佐竹さんしかいないので、ショックは大きくて、仕返ししようと、仕返しにわざと欠陥にしたビルに呼び出します。でもその時佐竹さんの別の彼への思いがかんじられたのです。
佐竹さんは男の人に合わす顔が今はないと会わずに帰りました。男の人は何故ちゃんと話して確かめなかったんだろうと後悔しました。
奈津子さんはそれらの男の人の気持ちが感じられました。やっとその現場にたどり着きました。でも呼びかけても返事はありませんでした。ドアを開けるとそこには固まりがあるだけでした。強い思いだけがまだ残っていました。
思い込みで行動してしまい取り返しつかない悲劇を生んだ人の物語です。
人がなに考えてるか分からないと思うことはあるでしょう。わからなくて不安かんじたりもあるでしょう。近年人間不信傾向みたいです。保護・秩序をとなえて管理されていきます。
新自由主義は要因の一つと言われてますが、コミュニケーションも大きな要因の一つかも。だれでも思い込みはあるでしょう。でもちゃんと話することも大切かもしれませんよね。
怒りの感情 「カリブの女・ユーマ」【原作】ラフカディオ・ハーン [おはなし]
「カリブの女・ユーマ」
【原作】ラフカディオ・ハーン
ラフカディオ・ハーンさんは今まで英米文学界ではあまり評価高くなかったそうです。でも近年その先見の明とか高く評価されだしたそうです。このカリブを舞台にした、奴隷が主人公の文学は画期的だったそうです。
物語はある老人のお話を墓地で聞く所から始まります。
お墓参りにきていた、ある老人と出会います。老人は語りはじめます。「このお墓はユーマのお墓だ。この島の人は彼女を忘れない」と。
この島はフランス領で当時奴隷制度がありました。ユーマは生まれながらのペロンネット夫人の奴隷でした。エメーという同じ年頃の娘がいました。ユーマはエメーと仲良しでした。ペロンネット夫人もユーマを娘のようにかわいがりました。
ユーマの母も奴隷でしたが、亡くなるときこう言いました。「辛い事があっても人の悪口をいったり、恨んだりしてはいけないよ」とやがてエメーが結婚すると、ユーマはついていき乳母となりました。ここで奴隷のガブリエルと出会います。
ある日、雨でずぶぬれになったエメーはそれが元で亡くなってしまいます。幼い娘のマイヨットをユーマに託しました。マイヨットはユーマをしたっていました。生まれてからいままでユーマは幸せを感じていました。
ガブリエルが結婚を申し込んできました。でも所有者の同意がいるのです。ペロンネット夫人はユーマを解放奴隷と結婚せせて自由に生きてもらうこと願っていました。今の社会制度でできる精一杯の自由だとおもったようです。 だから奴隷と結婚して奴隷として過ごすのに反対だったのです。ユーマは生まれてはじめて自分が奴隷であることを実感しました。ガブリエルが駆け落ちを提案したのを真剣に考えはじめました。 ユーマは土壇場で逃亡断念しました。母の遺言にもあり、今まで自分のこと思ってくれたペロンネット夫人・エメー・奉公先のエメーの旦那さん・マイヨットのことを思い思いとどまったんです。
フランス本国で革命が起きました。共和制でこれからはいい暮らしができるという情報がながれ人々はお祭り気分でした。ところが今度は、白人がこれを阻止しようとしているをいう情報がながれました。たちまち人々は「殺せ・殺せ」の大合唱となりました。「白人はみんな敵だ!白人に味方するのも同罪だ!」世論はそれ一色に染まりました。白人は恐怖に怯えていました。
やがて怒りにあふれた群衆がお屋敷に押し寄せ襲撃始めました。ユーマにはここの白人は家族でした。次々家族が殺害殺害されていきます。お屋敷にも火がつきました。幼いマイヨットを決して離さず、人々にたった一人立ち向かいました。「裏切り者」「白人にこびてる」とののしられても、ひるみませんでした。「この家族があなた達になにをしたんですか?!」「あなた達もいままで仕えていたのに手のひら返したような仕打ち恥ずかしくないんですか?」「不平不満への八つ当たりなんかして!」ユーマは被害者感情で怒りしかない群集にたった一人自分の信念を貫きました。
その数日後、政府が奴隷制度やめると発表しました。島の人達は冷静を取り戻し自分達のしでかした無意味な殺戮を思いました。
奴隷制度自体はたしかに非常に人権侵害のひどいものでしょう。 怒りがでても当然でしょう。 でもその怒りを一個人にむけていいのでしょうか?彼らになにができたのでしょう? 怒りに支配された群集の「殺せ・殺せ」の大合唱は恐怖を感じます。冷静に見ようとする人まで叩かれます。歴史上こういうのは無数にあるそうです。なかなか過去を教訓として、怒りをコントロールするのは困難なのでしょうか?
あらゆる怒りの対象の象徴にされるのはものすごい恐怖でしょう。それらの大多数の怒りの感情に逆うのはものすごい勇気がいるようです。
「世の中がどうかわろうとも、決してかわることのないもっと大切なものがある」
ある夏の日 [おはなし]
さっきのニュースでベンチに寝ていた人を焼き殺そうとした人がいたそうです。
「ホームレスだ。きたない・迷惑だ・社会のゴミだ!」そんなひどい事いったそうです。そのような恐ろしい考えの人がいるんです。暑さなんか吹っ飛んで寒くなりました。
おかねだけでなく、いろいろな内面の貧困がふえているのでしょうねえ・・。
みんな一瞬にして家族や友人をうばわれてしまったんです。
そして自分自身も生涯原爆症の恐怖を抱えてます。心と体にとても深く消えることのない傷を背負いながらも生きていかないといけないんです。
原爆症で恋愛もできなくて自分がいきていていいのか悩んでくるしみ続けていました。
やっとすべてを受け入れてくれる心広い人と出会い恋ができた時、症状がでてきて亡くなってしまいます。 』
ささやかな幸せはいつ終わるかわからないんです。危ういものの上にのっているのかもしれません。
群集心理 南アフリカでの悲劇 [おはなし]
時はアパルトヘイトのまだ残る南アフリカです。エイミーさんは黒人支援活動をしていました。ある日エイミーさんは友人2人を車で送っていくことになりました。この2人は黒人居住区に住んでいます。友人は居住区はとても危険だから中には入らないように注意しました。エイミーさんもそう思い、手前の所まで送ることにしました。
ところが居住区付近で若者グループと遭遇しました。危険感じて逃げようとしましたが、すでにおそかったのです。「見ろ白人女がいるぞ!」と誰かが叫びます。「別のだれかが引きずりだせ」と叫びます。同調する声はあっても慎重な声はありません。 その声はどんどん大きくなり・エスカレートしていきます。「やっちまえ」「白人の手先だ」一緒にいた友人も暴行されていきます。「殺せ。殺せ」の大合唱です。
こうしてエイミーさんはおおぜいの人から袋叩きされて惨殺されていったのです。こういうお話でした。
もうこの話きいてとてもかなしかったです。さぞこわかったでしょう。辛かったでしょう。無念でしょう。もう言葉になりませんでした。そうしてとても犯人がにくく思えました。この国では白人に差別される黒人という構図が一般化されています。確かにそうでしょうが、それを一個人のエイミーさんにぶつけていいのでしょうか? 理不尽さに怒りさえ感じます。
でもこの事件の後、遺族は加害者と和解したんです。加害者を処罰して解決なんてことにならないように、この悲劇を伝える考えるためにこうして、物語化されたそうです。それと、エイミー基金が設立されたそうです。私達一人一人が怒りにまかせることなく、群集心理の問題を頭にいれておくのもいるかもしれませんね。
人種に関係なく手をとりあって生きれる世界になればエイミーさんの魂は救われると思いたいです。
賢い女 [おはなし]
「賢い女」
カール・オルフ作曲のオペラです。今度11月に某大学であります。
公演のチラシに載っているあらすじは、
王様は農夫の娘を気に入りました。娘はなかなか賢かったのです。王様がその賢い娘を妃にします。
ある日ロバ連れた男・ラバ連れた男が争いをして、それを王様が裁きました。
それがなんかおかしなお裁き。
妃はそっと知恵を授けます。
これが原因で離婚騒動になります。 王様は妃に「お前の大切な物を一つだけもっていくがよい」と いいました。妃を追い出すことにしたんです。
さあ、賢い娘(妃)が持っていったのはなんでしょう?
あらすじに書いてるのはここまでです。
うちはまだこれを見ていないので結末を知りません。
賢いんだからきっといいもの・役立つもの選んだだしょうね。
うちなら、役立つ・自分に有利かなんてあまり問題ではありません。 賢くない娘のうちが選ぶのはダーである王様ですね。そのまま言葉どおり一番大切な王様を連れて行きたいです。
「大切なものは王様です!」そういいます。
断られたら・・・泣いて暮らします。
もしすでに見た人がいても、くれぐれも結末書き込まないでくださいね!
香水 [おはなし]
今までの日記リストです。 http://blog.so-net.ne.jp/life-ayu/2007-08-16-7
香水
冒頭部分です。
新学年が始まった最初の日、ミセス・トンプソンは新たに受け持つことになった5年生のクラスに行くと、子供たちを前に心にもない挨拶をした。どの教師もするように、子供たちを見わたしてから、分けへだてなくみんな同じように好きだと話した。しかし、それは本心ではなかった。最前列に元気なく坐っている小柄なテディ・ストダートいう男子生徒がいたからだ。 彼女は1年ほど前からテディを見ていたが 他の生徒たちとうまく解け合っていないし、身だしなみが悪く、お風呂に入っていないかのように何時も汚くしていた。それに不愉快だった。
太い赤ペンで、テディの答案用紙に幾つもバツ印をつけたあげく、最後に「F」と書き込むときに、ミセス・トンプソンは快感を覚えるくらい彼が嫌いだった。
その学校の制度に従って、先生は各生徒の内申書を過去にさかのぼって見直さなければならなかったが、テディの記録を一番後回しにしておいた。ところが、彼の記録を調べてみたときにすっかり驚かされた。
続きはこちらでhttp://www17.ocn.ne.jp/~wn380yy/sensei.html
これは教育(共育)でしょうねえ。 いいお話です。
黙って行かせて [おはなし]
ラジオドラマ- ドイツの現代文学 - 【原作】ヘルガ・シュナイダー
ある日、母と40年の付き合いだと言う人に手紙もらい真実しろうと、いとこと一緒に会いに行きました。
4歳の時,母は家族を棄てて家をでてナチス党員として訓練うけて赴任しました。
ある日,母がナチだった事を公表するととたんに世間の目がかわりました。「あなたがにくい」とも見知らぬ人から言われたりもしました。
手紙くれた人は「ナチスだった母を責められない。私だってオーストリア併合は賛成したし、ヒトラーに花束をなげたわ」と言いました。
いとこに「あなたのおとうさんも、共同経営のユダヤ人の人権・財産が法でとりあげられたので、儲けたろう、あなたの母は?」とかひどいこと言いました。
いとこの母は,侵攻してきたロシア兵たちに、娘(いとこ)の前で暴行されて自殺しているのです。
母がアウシュビッツにいたことを知りました。すして非常に優秀だったことも。
娘は母が収容所でなにをしていたのか知りました。あまりにも残忍な収容所での行為を責めました。「当時はイギリス・フランスとドイツを狙っていたのよ。かげで操るのはユダヤ人どもよ」
「ヒトラー総統はドイツ経済を立て直し、民族の誇りを取り戻した。」という母。
「家族を棄ててまで国に忠誠なの?」
という娘。
「国が滅びたら家族はないでしょう!」
「私は国のために捧げた。それは誇り」と母は言います。
幼い頃、大人たちが隠れていたユダヤ人をみつけて暴行してました。「悪いユダヤ人どもだ。石を投げろ」と大人達にいわれて投げた事を思い出します。
母の目はかたくなに過去を見ています。母は「連中の団結の強さにくい。」といいます。
この人の人生はあの戦争でとまったままなのであろうかと感じます。
一日一万二千人ガス室に送り・口にできないような冷酷なことしてきた残虐な犯罪者の母。 母は「あれは戦争だった」と
「あなたどうおもってる?」と返してきます。
「私は後悔してない。ユダヤから開放する。政府にとって正しかった事はわたしにとって正しい。」
「ユダヤの子供がまた減った。これでユダヤの大人せずにすんだ」
行かないでと叫ぶ母・すっかり小さくなり衰えた母・食事もとろうとしない。母は犯罪者として収容されていました。今すっかり衰えて先がみえています。頭はおとろえてますが。あのころのことだけは実にはっきりと、堂々とはなすのです。
{娘としての本能が道徳・歴史を消してしまうのでしょうか?
冷酷なナチ女愛せないの?いやゆるせないだけ。}と思う娘
あの人と親子の事実はけせない。私のできる事は悲しい親子の物語を語り続ける事・母の戦争はまだ終わっていない。この地上から戦争はおわってないから。
以上 こんな感じの内容でした。
これは作者(娘)の実話を元にしたものだそうです。
あまりにも、とても辛い過去です。
この出来事をみて受け止めていくのでしょうか?
ヒトラーはとんでもない残忍なことをしてますが、すべて彼一人の責任で、彼が死んだから終わりでななさそうです。この人達もまだ戦争が終わってないのかもしれません。
ナチスがおこなった歴史・世界情勢でドイツが追い込まれた歴史・ナチス政権成立許してしまった歴史・一部の人の反戦・反ナチはありましたが、ナチ政権にのせられた歴史その他みんな受け止めていくのでしょうか。
とても辛い戦争が心の中からも終わるのはいつなんでしょう?
周囲の人の言葉
「あなたがにくい」
「ナチスだった母を責められない。私だってオーストリア併合は賛成したし、ヒトラーに花束をなげたわ」
「家族を棄ててまで国に忠誠なの?」
戦犯だった母の言葉
「あなたのおとうさんも、共同経営のユダヤ人の人権・財産が法でとりあげられたので、儲けたろう、あなたの母は?」
「当時はイギリス・フランスとドイツを狙っていたのよ。かげで操るのはユダヤ人どもよ」
「ヒトラー総統はドイツ経済を立て直し、民族の誇りを取り戻した。」
「国が滅びたら家族はないでしょう!」
「私は国のために捧げた。それは誇り」
「連中の団結の強さにくい。」
「あれは戦争だった」
「私は後悔してない。ユダヤから開放する。政府にとって正しかった事はわたしにとってただしい。」
「ユダヤの子供がまた減った。これでユダヤの大人せずにすんだ」
桃太郎 [おはなし]
昭和20年 ラジオ民族オペラ桃太郎が完成しました。
稽古の初日が12月8日のはずでした。
そう、だからこれは埋もれてしまったオペラです。
誰もがしるようにどんどん右翼化して、ことごとく検閲がおこなわれて国の都合悪いもの排除していた時に作られました。
やたら愛国心が叫ばれ・民族の危機・国家の危機が叫ばれ、自己を犠牲にして国体を守るような思想にすすんでる社会情勢です。
そのなかで、検閲通そうと苦心してたようです。
「歌は自然に心にのこるもの」「毎日きかされて押し込まれるものでない」軍歌や、国の誇りとかの歌をやたら耳にしてこの「桃太郎」造った人がいっています。
人間致命的な心の傷は心のそこにこびりついてるのかも。おじいさん・おばあさんとか特に、愛国心・国の・民族の・国のため!国のための義務とか叫ばれると、その当時とかさなり怖くなるそうです。
余談ですが、アメリカも程度はましかもしれませんが右翼化かも?
反戦を主張していたアメリカ社会党の人達に冷淡だったそうです。
戦場におくられた・シベリアに抑留されたとか地獄をみたかた達に「わかります」なんてうちは言えません。
戦争知らないうちの理解を超えたものすごいものがあるでしょう。
あったなかった・誇張されてる・歪曲されてるとか論争だらけより、当時の人の生き様・社会の流れとか同じ道をたどる事がないように願いたいです。
天使の赤紙 [おはなし]
あるお話から
以前赤紙1枚で非常に多くの男の人は戦場に兵士として借り出されました。戦場には兵士以外に話題の従軍慰安婦もいます。 でもそれだけでなく、赤紙1枚で召集された女性がいたそうです。それが従軍看護婦です。
このwさんはフィリピンに配属されます。マラリアとかで内科病棟は混雑していました。一人あたり何十人も受け持たないといけません。苦労の末患者さんが退院してもまた戦場です。
戦況が変わりました。病院には旗をたてていますが、爆撃され看護婦の半数が亡くなりました。患者のなかには従軍慰安婦もいます。借金があり貧困に苦しむ家庭で、仕方なく芸者したところ戦場につれていかれたそうです。目の前で、爆弾とかで、兵士が「おかあちゃん」 とさけび死んでいきます。
一切れの羊かんをもらい「神様はいたのね。お姉さん(看護婦さん)が天使よ」「私も生まれ変わって天使になる」と言います。
{うちはもう涙です。この世は地獄でしかないんです。生まれ変わりの世界に夢をもとめるなんて・・・。あまりのも残酷すぎ!}
廃墟となり逃亡しなくてはいけません。現地の人に襲われる危険も高く車もつかえない、無理な徒歩での避難です。 歩けないものを置いていく指令がでます。命令受けた看護婦は気が変になるくらいのひどいショックです。 生きたままおいていくと、現地ゲリラに辱められたり・拷問されたり余計に苦痛うける危険高いので、死をあたえるのです。
逃亡中も多くの死体があります。敬愛する人も途中なくなりますが、埋葬もできません。自決のために青酸カリもってます。
運良く生き延びてかえったwさんです。でもとてつもない深い心の傷はしっかり残っています。
彼女ら看護婦は恩給ありません。
年月が経ち病院で介護が必要な状態です。社会保障削減で病院終われることになりました。
担当看護士が「申し訳ない」とわびます。wさんは「あなたのせいじゃないのよ。私は二度国に棄てられるのね」と。
お話の中で「戦争は善良な市民を加害者にしたてあげます。」と言っていました。
以上
従軍看護婦送り出した人は、お国のために死ねない男子のいないwさんのうちに冷たくしていました。wさんには加害者です。この人達は政権に都合いい画一教育・画一価値観で教育されてます。
従軍慰安婦にされた人を抱いた兵隊さんは彼女にとってはひどぃでしょう。 でも恋もできなくて、明日悲惨な死に方するかもしれない兵隊さんです。
動けない患者を死なせるのは医療従事者として最低で、非人道的です。でもこの時代の教育は生きて辱め受けるのをなにより嫌がる社会風潮だそうです。
自決用の青酸カリ配る人は?
日本の勝利願い戦場に送られてる人は?
現地の人からみたら?でも彼らは・彼女らは悪人でしょうか?
現地の人は、戦闘しない日本人を殺害・辱めたりとてもひどい事してます。でもこの人達は日本含めて占領されてます。
個人と国がごっちゃになり、国への恨みが一個人に向かいます。たとえその人がどんなにいい人でも。
もうとても悲しくて悲しくて。涙です。
生まれ変わり看護婦になりたいといった従軍慰安婦の人はただ辛いだけの人生だったようです。なんとなく彼女は死を覚悟していたのかも?
病院スタッフがこの人を連れて行けないので、看護婦さんが泣く泣く殺害する時、慰安婦の人は「ありがとう」と看護婦さんににこっとわらいました。自分を信用して命あずけてる患者を自らの手で殺害した事は致命的な心の傷になったそうです。 この看護婦さんは後に戦場の心理的傷で自殺しています。
うちはきっとこの慰安婦の人は世話になった看護婦さんの手で安楽死になると悟ってたと思いたいです。そうしないとあまりにも、ひどすぎてなんの救いもありません。
ひどい戦争はモラルもなくなります。病院爆撃なんて!
戦争は究極の弱肉強食でしょう。無抵抗の人までねらうんです。誰かに被害うけて、別の誰かに害与えて・また別の誰かに・・・。
抵抗力のない人ほど、憎しみの餌食となり、悲惨な最期をとげていくんです。
今辛い気分です。凹んでます。元気でないです。
友情 [おはなし]
舞台は第二次世界大戦前のドイツ
ユダヤ人のハンスは、学校でコンラディン(名門のドイツ人)と出会い,強い友情で結ばれるようになります。学校は平穏でした。
ナチスが勢力の伸ばしてきました。ハンスの父は母国はドイツという意識で,ドイツのためにがんばろうという人でした。(当時ドイツは大変な状況でした)
良識あるドイツ人はナチスを選ばない。私はイスラエルには参加しない。という考えでした。 (何らかの形でユダヤ人の多くは参加 したららしいです)
あくまで帰属はユダヤでなくドイツなんです。
ナチスが政権をとり、学校は変わりました。歴史はドイツ人の優秀さ、ユダヤを悪くする授業にかわりました。イジメが公然とおこなわれるようになりました。 社会風潮の波に飲み込まれていきます。
ハンスはアメリカに行く事になりました。友情は終わってしまいました。両親は自殺に追い込まれました。ユダヤとされてしまい迫害されたんです。
時がたち、コンラディンがナチスに怒り、ある事をしていた事を知りました。
以上あらすじです。
歯止めがかからない例かも。ここではナチスがどうとかでなく、政治上の都合・治安維持・経済問題・愛国心とか理由あれども最低限うばってはいけないものはあるはずです。
どんな思想・信条・政治体制とかであれ奪ってはいけないものがあることを忘れないでほしいと願います。
どうか生きることをうばわないでください!
ブレーメンの音楽隊 [おはなし]
絵本紹介です。
グリム童話「ブレーメンの音楽隊」 ハンス・フィッシャー
ロバがいました。長年麦の袋を水車小屋に運ぶお仕事をしていました。年をとり、お仕事ができなくなってきました。買主は「もうこれ以上えさをやれない」と思うようになりました。ろばは風向きが悪くなったのを悟り、ブレーメンに行き音楽隊に雇ってもらおうと考えて逃げ出しました。
猟犬に出会いました。犬は年をとり、猟で走れなくなりました。ロバが太鼓・犬がラッパ吹くというのに賛成して、一緒にブレーメンに行く事になりました。
猫に出会いました。歯が弱くなりねずみを追いかけられなくなりました。おかみさんに川に捨てられそうです。「歌がすてきだよ!」というので一緒に行く事にしました。
おんどりに出会いました。明日マリア様のお誕生日で大勢のお客さんがくるので、スープにされちゃうんです。「いい声してるね!」というので一緒に行く事になりました。
夜になり、ドロボウの家をみつけました。犬は「そこに肉のついた骨が2~3本あったらなあ」と言いました。みんなで協力して、ドロボウおいだして、おなかいっぱいご馳走をたべました。
戻ってきたドロボウを追い返して、みんなでそこで暮らしました。
以上あらすじです。
動物の世界はきびしいです。福祉はなく、使い捨てです。人間も19世紀はそうでしたけど・・
今の人間でよかったです。年金もらえて・保険で治療してもらえるもの。
悪は悪い? [おはなし]
物語です。
ピーターとおおかみ
ピーター(少年)やあひる・小鳥・ねこ達がいました。おなかすかせたおおかみがきたので、ピーターや動物達は逃げ出しました。おおかみはあひるを捕まえて飲み込みました。
木の上でそれを見たピーターは悪いおおかみを捕まえようと考えました。小鳥達の協力で、捕まえる事ができました。
狩人がきました。ピーターは、「狩人に殺さないで!動物園に寄付するんだ」と言いました。
おおかみは動物園にいれられ悪い事はできなくなりました。
このお話はここまでです。
この物語では何度も悪い・怖いおおかみという言葉がでてきます。
悪のレッテル貼られたおおかみです。
悪てなんでしょう?
他の動物には悪・あひるにしてみたら大悪ですよね。
「悪のどこが悪い!」とおおかみが開き直ったというのは、
物語にはありません。
善悪の二分法でレッテル貼りあい、相手を悪だと言う傾向がなんとなくありそうですけど・・。
なんかわけわからないです。