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手紙 [映画]

 ブログかいてるのに、うちはメール好きじゃないです。どっかの案内とか事務的なのならいいんですけど、個人的なのはねえ・・・。
メールにはメールのよさがありますけど、メールに頼りすぎてませんか?殺伐とした世の中より、温かさ感じるにはメールだらけでなく手紙を見直してみるのもいいかもしれません。

手紙という映画があります。原作は東野圭吾さんです。
親のいない兄弟がいます。
兄が弟の進学費用ほしさに強盗に入ります。その際誤って人を殺してしまいます。
兄は終身刑となり服役中です。
弟(直貴)は職場や住居を転々と変えていきます。
人とかかわらず、気をゆるせずに怯えながら孤独に生きています。
そんな直貴を食堂で働く由美子がみています。
差別偏見にさらされる厳しい現実を描いた社会派映画です。



以下ネタバレ
 職や住居転々とするのは差別偏見のためでしょう。犯罪者の家族とわかると、人はみる目や態度がかわります。避けるようになります。なにかあると「犯罪者の家族だから・・・」と言われます。
イジメや嫌がらせもおきるでしょう。

定職にもつけず、友人も作れず人と関わる事もさけて怯えながら暮らす事になるんです。
唯一昔からの友人がいて一緒に漫才やっています。
みとめられて売れてきた矢先ネット右翼の叩きにあいます。某事件みたいに個人情報ながされて社会から葬られていきそうになります。
友人思い自分から身を引いて隠れてしまいます。夢も失ってしまいます。

結婚話がでます。でもあなたに罪はないが、快く思えないと相手の親に手切れ金渡されます。


遺族は「あなたには罪はない。でも心情的に・・」という、気持ち抱えて、直貴を和解したのは救いでした。「もう終わりにしませんか?」と疲れ果てた遺族が言ったんです。彼は直貴も疲れ果てているのがわかるようでした。


家族ができます。
『この状況では奇跡的だと思うんですけど』
妻や子も差別偏見に晒されます。

こういうお話でした。

人は犯罪者をおそれるのでそれに関係するものを排除する気持ちが働くというのがありました。
そうかもしれません。でも露骨にそれがでていいんでしょうか?
叩きの社会風潮傾向があるようです。
うかつに差別偏見に立ち向かうと、その対象者と同類とみなされて叩かれかねません。差別偏見持つ人にもそういうのが怖いからと言う人もいるかもしれません。


 この前100のうちの1が問題になっていくというの取り上げました。ひどい場合の叩きは問題でない部分まで否定していきます。徹底的に問題部分ばかりつるし上げていきます。中には差別偏見の視点で問題にしたえあげるひどいものもあるかも?対象者を全否定して、葬り去ろうとするんです。
 直貴にたいする叩きは差別偏見による叩きとみえますけど。
直貴を叩いてものすごく苦しめて、葬り去って、この被害者遺族が幸せになるんでしょうか?満足するんでしょうか?
遺族も当初はともかく年月たつとかならずしもそうとは思わないように思えます。
叩く人達の「自己中」に見えます。

この映画で、遺族もずっと苦しんでいます。ふれられたくない過去なのかも?


悪いことして開き直るようなとんでもない事言う人が言うかと思うと、こういうひどいことする人もいます。どうも極端なことするひとが増えたような・・・。(直貴の兄は犯行時から謝罪していたので、開き直りはしていないようですけど。)
直貴の兄は重罪なので、受刑は当然なのかもしれないでしょうけど、直貴まで排除していいんでしょうか?

なぜ非寛容で白黒論理なんでしょう?誰もが不完全だとうちは思います。
問題起した人を排除したり、自己の道徳観にあわない人を問題者にして排除したりするのは、おかしくないですか?!
排除の論理でなく補完することも考えてみませんか?人は一人では弱いことも多いでしょう。みんなが自分の余力の部分を不足する人に補完しあえばもっと御互い生きやすくなるように思えるんです。
寛容で、温かい社会ならこの兄弟はそもそもこういう事件起してないでしょう。被害者や遺族もこんな悲惨な苦しみ味あわずにすんだかも。



差別偏見の根の深さをあらわした映画の一つでした。
憎しみや悲劇の連鎖を断ち切るのはものすごい勇気とものすごい努力、ものすごい強い意志がいるようです。誰にでもできる事じゃないのかもしれません。
当事者には不可能でも、第三者なら一人一人がもう少し寛容で温かくみれるようにどこか心の隅で思ってみませんか?









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ユキ

この映画、見ました~
主人と初デートで(爆)

携帯のメールばっかりです、最近・・・
電話って切るタイミングをはかるのが
どうも苦手で・・・
by ユキ (2008-05-23 14:42) 

ayu15

適当な時に、「じゃ~そろそろきるね。またね」と言いますよ。そうしたらその後はどうしても伝えたいことあればそれだけ伝えておわりです。

それがやりにくければ古典的手法で、「誰かきたわ」というとか。
by ayu15 (2008-05-23 19:17) 

ayu15

ararinndouさんご訪問ありがとうございます。「生きる」ことを考えてます。よければ以前のもお暇な時どうぞ。


by ayu15 (2008-05-24 10:19) 

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