無縁社会の話 [社会問題]
life---生まれてきて良かったと感じられる社会に
--苦悩の狭間-- ☆ 一人一人を大切にして見捨てない社会に。みんなが自分らしく生きれますように♪
2007年日記リストはこちらをどうぞ http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2008-03-27
2008年日記リストはこちらをどうぞ http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2008-03-28
2009年日記リストはこちらをどうぞ http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2009-02-22
2010年日記リストはこちらをどうぞ http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2010-02-01
2011年日記リストはこちらをどうぞhttp://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2011-02-02
初めての方は、コメントくださる前にまず、はじめましてをごらんくださいね。
http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/archive/c35382141-1
マイケル・サンデルさん(お正月にとりあげています)の話が記事になってました。
彼によると、
無縁社会はコミュニティの喪失がもたらした。
原因の一つは
市場社会がもたらした豊かさ。
極端な個人主義
医療や介護・教育受けるのが困難になっている。我々はこれらにどんな義務?
こういうディベートは避けて通れない。
デベートとはお互い尊敬し相手に耳を傾け共通点を見いだそうとすること。
アリストテレスは正義と「善き生」のつながり重視
美徳とは市民が個人としてだけでなく、共に生きることによってはじめて育まれる。
カントは個人の自律を第一に考える立場
カント思想とどう折り合い付けるか?
以上記事より
彼はコミュニタリアン(共同体主義者)らしいです。え?」なにそれ?て感じですが・・。
新自由主義・リバタリアン(お正月にでてきてます)などはまさしく個人主義といえそうです。
それに対して宗教右翼・道徳右翼は全体主義的ともいえるかも。
日米ではこの両者が共存するよくわからない考え方の人も少なくなさそう(某党におおい?)
それだけでもややこしいのに共同体主義?!
宗教・道徳右翼は保守派と言われることも(なんで保守という名??)
うちはテーマが「生きる」です。これら「右翼的思想」で個々の尊厳・存在があやうくなるのはごめんこうむりたいです。極端に言うと「右翼的思想」はナチスです。
障害者という区分された人は虐殺されています。同性愛者もです。もちろんユダヤ人もです。うちが怒るのは特に「友情」でとりあげた家族です。彼らは社会から「ユダヤ」の名をつけられ分類されてしまいます。でも彼らはドイツ人としていきてきたし、ドイツが好きだったんです。ドイツを信じていたのに・・・。以下記事より
コミュタリアンにもいくつかの立場
1保守派はコミュニティが尊重する価値を絶対視
(マイケルさんはこれはいけないと言ってます)
2歴史や伝統の価値を重視しつつうたがうこと容認
以上
1は宗教右翼・道徳右翼になりますよね。
{あ~こわ~。あの人達の価値観と違う人達は迫害されますね}
2がましですが・・・。
誰もが生きれるためには大事なことかも?
原因ですが
別の書き方??をするとやりすぎの?新自由主義・金融資本主義・自己責任主義などが行き過ぎた個人主義ともいえるかも??
もうかるなら・・・て感じ? ある意味で自己中?
行き過ぎた個人主義で自己努力求めて救済に消極的です。富の再配分も好まないようです。弱者保護も好まないようです。個人の問題ですんでしまうようです。
会社は誰のもの?成果主義などで会社がコミュニティとしての機能を失ったようなことを取り上げています。また生存競争で地域の商店が衰えて地域コミュの力が低下したこともどこかで取り上げてます。
それに対して行き過ぎた個人主義だ!と新保守主義(道徳右翼・愛国心・民族など?)が大きな声のような?
奇妙なのは仮称エイブさんのように個人主義である自己責任論など進めてコミュニティ壊しながら前出の説でみたら)片方で再生だ!と右翼政治おこなったような・・・。別の有識者によると、このコミュの崩壊で連帯感を国や民族単位でもとめたことが右翼化社会の原因の一つだそうです。
まるでフランス革命後の恐怖政治?(笑)
その遺産で柔道の全員強要教育がはじまるとか。
アメリカでは新自由主義的な?リバタリアン思想では柔道の強制なんて余計なお世話で「悪法」なんでしょうけどね。
個人の問題でおさめず個々の人の人生に介入してきます。
親孝行しようとかお年寄りいたわるとかいう道徳は個人に求めて国にもとめないわけわからん世の中?
共生(いろんな人が否定されることなく共に「生きる」 )というのがよさそうと思ううちです。マイケルさんも文中に共生がでてきます。
カントさんの自律はどういう意味かうちは理解できていません。
自分達の容認する価値観は正しくてそこに入れない(入れてもらえない仲間外れ)の人達はのけものにされたりわるくすると迫害されたりします。まさしく他律でしょう。そうでなく、うちの言う意味の自律のほうが他者におおらかで寛容になれるんですが・・。
ある人が差別偏見で社会的に疎外されていました。一生懸命訴えていました。でも理屈?ならべてこの人を受け入れようとしない大人だらけ(別にこの人達は悪人でないのに)
それに対してある子どもが言いました。
「難しい話なんかいいから、一緒に遊ぼうよ!今日から友達だよ」と。
レミングの群れhttp://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2011-01-25
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彼によると、
無縁社会はコミュニティの喪失がもたらした。
原因の一つは
市場社会がもたらした豊かさ。
極端な個人主義
医療や介護・教育受けるのが困難になっている。我々はこれらにどんな義務?
こういうディベートは避けて通れない。
デベートとはお互い尊敬し相手に耳を傾け共通点を見いだそうとすること。
アリストテレスは正義と「善き生」のつながり重視
美徳とは市民が個人としてだけでなく、共に生きることによってはじめて育まれる。
カントは個人の自律を第一に考える立場
カント思想とどう折り合い付けるか?
以上記事より
彼はコミュニタリアン(共同体主義者)らしいです。え?」なにそれ?て感じですが・・。
新自由主義・リバタリアン(お正月にでてきてます)などはまさしく個人主義といえそうです。
それに対して宗教右翼・道徳右翼は全体主義的ともいえるかも。
日米ではこの両者が共存するよくわからない考え方の人も少なくなさそう(某党におおい?)
それだけでもややこしいのに共同体主義?!
宗教・道徳右翼は保守派と言われることも(なんで保守という名??)
うちはテーマが「生きる」です。これら「右翼的思想」で個々の尊厳・存在があやうくなるのはごめんこうむりたいです。極端に言うと「右翼的思想」はナチスです。
障害者という区分された人は虐殺されています。同性愛者もです。もちろんユダヤ人もです。うちが怒るのは特に「友情」でとりあげた家族です。彼らは社会から「ユダヤ」の名をつけられ分類されてしまいます。でも彼らはドイツ人としていきてきたし、ドイツが好きだったんです。ドイツを信じていたのに・・・。以下記事より
コミュタリアンにもいくつかの立場
1保守派はコミュニティが尊重する価値を絶対視
(マイケルさんはこれはいけないと言ってます)
2歴史や伝統の価値を重視しつつうたがうこと容認
以上
1は宗教右翼・道徳右翼になりますよね。
{あ~こわ~。あの人達の価値観と違う人達は迫害されますね}
2がましですが・・・。
誰もが生きれるためには大事なことかも?
原因ですが
別の書き方??をするとやりすぎの?新自由主義・金融資本主義・自己責任主義などが行き過ぎた個人主義ともいえるかも??
もうかるなら・・・て感じ? ある意味で自己中?
行き過ぎた個人主義で自己努力求めて救済に消極的です。富の再配分も好まないようです。弱者保護も好まないようです。個人の問題ですんでしまうようです。
会社は誰のもの?成果主義などで会社がコミュニティとしての機能を失ったようなことを取り上げています。また生存競争で地域の商店が衰えて地域コミュの力が低下したこともどこかで取り上げてます。
それに対して行き過ぎた個人主義だ!と新保守主義(道徳右翼・愛国心・民族など?)が大きな声のような?
奇妙なのは仮称エイブさんのように個人主義である自己責任論など進めてコミュニティ壊しながら前出の説でみたら)片方で再生だ!と右翼政治おこなったような・・・。別の有識者によると、このコミュの崩壊で連帯感を国や民族単位でもとめたことが右翼化社会の原因の一つだそうです。
まるでフランス革命後の恐怖政治?(笑)
その遺産で柔道の全員強要教育がはじまるとか。
アメリカでは新自由主義的な?リバタリアン思想では柔道の強制なんて余計なお世話で「悪法」なんでしょうけどね。
個人の問題でおさめず個々の人の人生に介入してきます。
親孝行しようとかお年寄りいたわるとかいう道徳は個人に求めて国にもとめないわけわからん世の中?
共生(いろんな人が否定されることなく共に「生きる」 )というのがよさそうと思ううちです。マイケルさんも文中に共生がでてきます。
カントさんの自律はどういう意味かうちは理解できていません。
自分達の容認する価値観は正しくてそこに入れない(入れてもらえない仲間外れ)の人達はのけものにされたりわるくすると迫害されたりします。まさしく他律でしょう。そうでなく、うちの言う意味の自律のほうが他者におおらかで寛容になれるんですが・・。
ある人が差別偏見で社会的に疎外されていました。一生懸命訴えていました。でも理屈?ならべてこの人を受け入れようとしない大人だらけ(別にこの人達は悪人でないのに)
それに対してある子どもが言いました。
「難しい話なんかいいから、一緒に遊ぼうよ!今日から友達だよ」と。
レミングの群れhttp://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2011-01-25
2011-01-29 10:10
nice!(2)
コメント(1)
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shiraさん
takemoviesさん
ナイスありがとうございます。
by ayu15 (2011-01-30 08:45)