学校は誰のもの? [教育]
2007年日記リストはこちらをどうぞ http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2008-03-27
2008年日記リストはこちらをどうぞ http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2008-03-28
2009年日記リストはこちらをどうぞ http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2009-02-22
初めての方は、コメントくださる前にまず、はじめましてをごらんくださいね。
http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/archive/c35382141-1
以前会社は誰の物?というのを書きました。(http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2007-09-01どうぞ)法的?には変わらないかもしれませんが、社会的に人々の価値観とかがかわったようです。よければまずこれを先に読んでもらえるとうれしいです。これを前提なので。
shira さんが「誰が教育の「受益者」なのか」という考察をされています。これは良くかけていてう~~んと思いました。それでじゃあ教育・学校は誰の物?というのが気になりました。
法的にどうかは全然わかりません。弁護士の方よければおしえてくださ~い。制度的にどう規定されるのかもわかりません。教育行政で活躍されている方おしえてくださ~い。条文あるんですか?なんて書いているんですか?
というわけでそれらはちょぃ置いておいてと(ヨイショと横に置く)「会社は誰のもの?」で考えてみます。
社長にあたるのが校長先生?正教職員は社員でしょうか。民間企業だと創業者が社長・その後継ぎが社長とかよくありますけど、私学は知りませんが公立だと雇われ社長でしょうか。
以前、この建物は誰が作ったの? http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2008-03-14-1 を書きました。昔は「このビルはおとうさんが作ったんだよ」と誇らしげにいったりしたそうです。おとうさんは建設関係の社員です。
これでいくと教職員が「私の学校」という気持ちでますねえ。
株主は???
私学でおかね出しているの誰ですか???どなたか教えてください。公立だと国・市とか中央・地方の政府ですよね。株主利益・株主の物?という価値観とかだと学校は政府のものです。まあ法的に建物は普通政府所有ですよね。
前書いたんですけど「愛される」というのは大事でしょう。以前の会社は働く人達みんなの物でもそこを「愛してくれる」お客さんあってのことでしょう。 取引してくれる他の会社もあってこそ「生きれる」んでしょうね。
新自由主義的価値観?で行政(株主)の物だとしてもお客さんに愛されなくてはと思います。
じゃあその製品・提供するサービスは学校教育でしょうね。
とく不祥事が報道されます。成果主義問題で社員の士気が落ちているという説もあります。(会社の活力 http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2008-03-17 どうぞ) じゃあ学校の活力はどうなんでしょう??サービス(学校教育)は大丈夫ですか??
会社がいい製品作る・いいサービス提供するとお客さんはうれしいです。受益者といえるでしょう。大多数のお客さんが受益すると社会全体が良くなりませんか?会社にも対価だけでなく「受益」がかえると思うんです。
『かねは天下のまわりもの?』
松下さんが没して20年ですが、彼は社会に貢献・電気器具と人を作るといっていたそうです。受益が循環する方向でしょうか。
異論あるでしょうけど、生徒が受益者(お客さん)と例えると、お客さんが受益受ける事で社会(政府)も「受益」するのではと思います。 こと捉え方は社会が受益者と対立するようにみえますがそうでしょうか?
結局受益することで社会も受益するんです。 うちにはなんともいえませんが、割り箸でふれたように「だめだ」でなく循環です。受益をそこで独り占めしないで循環させること大事かなあと思います。
会社に例えましたけどでも会社と学校が一緒の概念でいいのでしょうか?
社員やそこで働く人は今では意識も契約の関係ぽぃかもしれません。適切な労働力を提供して、対価として経済的報酬を受け取ります。割り切り?がある方向かも?
教員がこれでいいのかどうか・・・。じゃあ「おとうさんが作った建物」に戻したらいいのかといえばうちにはなんとも言えません。
受益者?の個人が○○エモンさんみたいに自分の利益ばかり追求すると混乱します。受益者?の政府・社会が国・社会利益を強く追求して、あれこれ強制して個々を否定しだしたらもう地獄です。まさしく狂育です。
会社も学校も誰の物かというとうちには結局誰のものかわかりませんでした。いえるのは「あまり受益を溜め込みすぎないでわけあたえてくださいね。」御互い「ありがとう」と言い合えるように循環させたいです。
教育と医療は特に個々の人と向き合い個々の特性を大事にしなくてはいけない分野だと思います。それを常に忘れない学校・学校教育をお願いしたいです。
参考に
教育再生会議 http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2008-02-17-2
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以前会社は誰の物?というのを書きました。(http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2007-09-01どうぞ)法的?には変わらないかもしれませんが、社会的に人々の価値観とかがかわったようです。よければまずこれを先に読んでもらえるとうれしいです。これを前提なので。
shira さんが「誰が教育の「受益者」なのか」という考察をされています。これは良くかけていてう~~んと思いました。それでじゃあ教育・学校は誰の物?というのが気になりました。
法的にどうかは全然わかりません。弁護士の方よければおしえてくださ~い。制度的にどう規定されるのかもわかりません。教育行政で活躍されている方おしえてくださ~い。条文あるんですか?なんて書いているんですか?
というわけでそれらはちょぃ置いておいてと(ヨイショと横に置く)「会社は誰のもの?」で考えてみます。
社長にあたるのが校長先生?正教職員は社員でしょうか。民間企業だと創業者が社長・その後継ぎが社長とかよくありますけど、私学は知りませんが公立だと雇われ社長でしょうか。
以前、この建物は誰が作ったの? http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2008-03-14-1 を書きました。昔は「このビルはおとうさんが作ったんだよ」と誇らしげにいったりしたそうです。おとうさんは建設関係の社員です。
これでいくと教職員が「私の学校」という気持ちでますねえ。
株主は???
私学でおかね出しているの誰ですか???どなたか教えてください。公立だと国・市とか中央・地方の政府ですよね。株主利益・株主の物?という価値観とかだと学校は政府のものです。まあ法的に建物は普通政府所有ですよね。
前書いたんですけど「愛される」というのは大事でしょう。以前の会社は働く人達みんなの物でもそこを「愛してくれる」お客さんあってのことでしょう。 取引してくれる他の会社もあってこそ「生きれる」んでしょうね。
新自由主義的価値観?で行政(株主)の物だとしてもお客さんに愛されなくてはと思います。
じゃあその製品・提供するサービスは学校教育でしょうね。
とく不祥事が報道されます。成果主義問題で社員の士気が落ちているという説もあります。(会社の活力 http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2008-03-17 どうぞ) じゃあ学校の活力はどうなんでしょう??サービス(学校教育)は大丈夫ですか??
会社がいい製品作る・いいサービス提供するとお客さんはうれしいです。受益者といえるでしょう。大多数のお客さんが受益すると社会全体が良くなりませんか?会社にも対価だけでなく「受益」がかえると思うんです。
『かねは天下のまわりもの?』
松下さんが没して20年ですが、彼は社会に貢献・電気器具と人を作るといっていたそうです。受益が循環する方向でしょうか。
異論あるでしょうけど、生徒が受益者(お客さん)と例えると、お客さんが受益受ける事で社会(政府)も「受益」するのではと思います。 こと捉え方は社会が受益者と対立するようにみえますがそうでしょうか?
結局受益することで社会も受益するんです。 うちにはなんともいえませんが、割り箸でふれたように「だめだ」でなく循環です。受益をそこで独り占めしないで循環させること大事かなあと思います。
会社に例えましたけどでも会社と学校が一緒の概念でいいのでしょうか?
社員やそこで働く人は今では意識も契約の関係ぽぃかもしれません。適切な労働力を提供して、対価として経済的報酬を受け取ります。割り切り?がある方向かも?
教員がこれでいいのかどうか・・・。じゃあ「おとうさんが作った建物」に戻したらいいのかといえばうちにはなんとも言えません。
受益者?の個人が○○エモンさんみたいに自分の利益ばかり追求すると混乱します。受益者?の政府・社会が国・社会利益を強く追求して、あれこれ強制して個々を否定しだしたらもう地獄です。まさしく狂育です。
会社も学校も誰の物かというとうちには結局誰のものかわかりませんでした。いえるのは「あまり受益を溜め込みすぎないでわけあたえてくださいね。」御互い「ありがとう」と言い合えるように循環させたいです。
教育と医療は特に個々の人と向き合い個々の特性を大事にしなくてはいけない分野だと思います。それを常に忘れない学校・学校教育をお願いしたいです。
参考に
教育再生会議 http://life-ayu.blog.so-net.ne.jp/2008-02-17-2
2009-04-27 11:00
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コメント(4)
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営利目的の教育になってしまわないことを願いますね・・・
by ラン (2009-04-28 00:49)
ランさんありがとうございます。うちもそれを願います。
by ayu15 (2009-04-28 13:00)
学校は誰のものかというのをしごく冷徹に考えますと、
まず校舎や敷地や備品は管轄の地方自治体のものです。県立高校なら県有。
職員の大半も地方自治体の職員です。都道府県なり市町村に雇われている地方公務員。
ただ、一部の建物や職員は同窓会や別法人や個人の持ち物であることもあります。特に自治体が動いてくれない場合、同窓会がお金を集めて同窓会館やナイター施設を作ったりすることはあります。職員にも私費職員という人が時々います。
学校の管理責任者ですが、これはもう間違いなく学校長です。学校でなさせる全てのことについて最終責任を負っているのは学校長です。学校教育法を読むと、学校長というのがいかに巨大な権限と責任を持っているかよくわかります。一部メディアが校長の権限強化を煽っていますが、もともと校長は法的には絶対者なんです。
ただ昔の学校長は絶対者となることをイヤがったんですよ。ヒラとの軋轢も増えるし、孤立するといろいろつらいし、できれば和を持って学校運営したかった。で、世の中が右肩上がりの頃は外部の雑音も少なかったので、なれ合い的な学校運営でも問題はなかったわけです。
ayuさんの<受益を独り占めしない>というのはまさにその通りで、何かを作って売る場合でも、売った方だけが大儲けで買った方は損した気分になったんじゃ、その商品は二度と買ってもらえません。売る方も買う方もハッピーな気分になってこそ商売は成り立つわけです。企業は利潤を追及するのが使命だ、なんて力んでも、その利潤はお客さんからもらうものですからね。
by shira (2009-04-29 22:25)
shira さん教えてくれてありがとうございます。愛される?ハッピーになれる?教育てどういうのでしょう?
by ayu15 (2009-04-30 09:13)