学んでも役に立たない? [社会問題]
世の中セクハラ・パワハラ・いじめ・体罰その他いろんなことが問題になっています。
犯罪被害も問題かもしれません。どういうわけか容疑者・加害者攻撃に向かう時だけ被害者心情がもりあがるわけのわからない現象です。
以前「国歌を起立斉唱しないのはけしからん!首だ!」という事件がありました。某党・某世論・某学者を中心に支持が集まったようです。
まあ天皇陛下も「強制はよくない」、当時の総理も「強制はしない」と言ってたので歌わすことに固執するのは滑稽に見えますが・・。
どこかの某知事(当時)も[知事命令に従わない奴は首だ!」と強硬論でした。これもまた支持が・・。
戦前のある日あるところですが
親の形見の大切なミシンがあったんですが地域の婦人連合がお国のために鉄を寄進するということでやってきました。「形見なので」断ると「愛国心が たりない!」とか非難されたそうです。
なんか空気が怖いあゆです。
「従いなさい」といい規律重視で従わないと厳しい罰。
でもさらに不安なのはそれを容認する空気。
「やりすぎですよ」「そのへんでかんべんしてあげましょうよ」という抑止が利かない雰囲気
某自治体の国歌強制
某いじめ
某体罰
みんな同じ匂いが・・
なんか空気が気になるわ~~。
まあこんな風に先日逆らえない空気でいじめ問題取り上げたんですが、今日は違う面で見ようと思います。
某市長がメディアの批判にさらされています。
まあ一個人でなく政治家として批判があるのは健全でしょうけど。
なんかもやもちゃします。なんで???
受験日まで1カ月ないです。受験生にとって自分の進路にかかわる大問題です。
受験生にとってはそれを自分と関係ないところで(自分はカヤの外)決められるなんて・・。
うちならやだわ~
前政権3代の時あれほど「唐突だ!」と批判の大合唱した某世論某党は??
でもある意味で市長さんの言うことも一理あるような。
規律重視で「従え」で上下関係厳しい体罰生みやすい空気はなにも変わっていないように思えます。
この状態で次の生徒いれてもまた起きる可能性は小さくないです。
これ重要ですよ 。
でも「従え!」としてきた人が言うのでなんか説得力がねえ
体罰こそしないものの、重い罰かざして服従させようという点は似てますねえ。
だから裏あるんじゃないかと勘繰りたくなるし・・・
うちは画一的にされ強制されるのは嫌いです。
体罰はまさしく考え方がこういうのが背後にあるように見えます。
でも「全員入れ替え!」もどうかと・・。
かねがね言ってるんですが「右翼的」になり個性をわがままと言わんばかりの感覚になるのはとても危険だと思います。 学校にもいろんな人がいるのがいいと思います。 体罰に限らず同じ匂いのする最初にでききた諸問題にこういう考え方がみえるんですよ。
まあ体罰はともかく熱血先生もいていいと思います。でもいきすぎないように抑制する先生も必要でしょう。 先生以外の人材もいていいでしょう。
妥協??でとりあえず受験はそのままで合格すれば普通科に入れるそうです。とりあえず受験の問題はまあまあクリアーできたようです。
でもスポーツ学びたい生徒が普通科にという問題は残ります。
監視強化厳罰化というわけでないだけましでしょうけど・・・。
なにかいい方法かんがえてほしいです。
そのさい、くれぐれも画一的で個性を尊重しない・強制するとかは、なしの方向でお願いしたいです。
でも「従え!」と言われてる教員にそれできるの?
人に「従え!」といわれるのに慣れた人は人に「従え」というようになるそうですよ。
後は競争行き過ぎが問題と言う声と競争は必要だといいながら競争行き過ぎの声を批判する声です。
え?わけわからないって?
「競争至上主義」の批判と競争至上主義批判を批判するの大きく2つ?
なんかみてたらずれた批判??
まず「競争至上主義とは??」 これがずれてるような。
競争が行けないのでなく行き過ぎが問題という声の方が大きいような。競争一切否定なんてうちは見たことないです。
他方競争抑制の声を批判して競争がいいことだという声。
なんかおかしいわ・・・。
なんか競争はあっていいと思うんですが
て言うか競技スポーツは勝ち負けで競争はつきものですよね。
問題はそれだけが正義としてる点です。
そう原発こそ正義と原発不安の声を強く批判してきた某学者某党某マスコミのような?
競争はあっていいです。
でも競争こそすべて?
競争しなくてはいけないの?
競争にはかならず敗者が出ます。
「自己責任」強調する某党某世論某学者・・。負けたらみじめかも?
競争原理強調すると(能力主義成果主義強調)負けたら勝者に追われます。
勝てない顧問は首となり次の優秀と思われる人に代わります。
プロ野球も競争ですから次々監督変わるでしょ。
教育現場に「競争こそ正しい!」なんて持ち込んだらそりゃいじめ・体罰・パワハラ・差別なんでもおきそう
もう一度念押します。競争はあっていいです。
でも競争こそ正義で競争で起きる問題の声を批判しすぎはどうかと・・・。その批判の空気は不安感じるんです。
某党・某世論・某報道・某学者?に見られる仲間外し思考も不安です。
自分たちの身近に起きた体罰による自殺。自殺に追い込まれた人思いよ~~~~~~~~~くこれから考えてほしいです。もちろん引き起こした人を断罪で解決とか厳罰化で対応というのはなしの方向で。
排除して終わりでなくまな板に乗せられ追い詰められた過酷な状況をちゃんとみてほしいです。
自分には過酷でなくても人には過酷なことがあるんです。そこを見て行ってほしいです。
解体(排除)せずに外部からも人を入れて真面目にみんなで考えてほしいです。
後不思議なのは
対象に「健康科学」があるんですよ。
まじびっくりです。え~~~~~~~~~~ て感じです。
競技スポーツと違いより健康科学は個々の配慮がだいじなんですけど。
根性論はこの分野では否定されてるはずですけど?
科学的検証でこれこれこうですと一般論で習っても、現場では相手みて柔軟に修正していきます。
画一的で押しつけてしたがわないと罰なんていう指導者は失格とおもわれる世界のはず。
どうやったらやる意欲持ってもらえるのか?
楽しい雰囲気あたえられるのか工夫するんですが・・・。
根性論・精神論で暴言・体罰でやる世界とは健康科学は無縁のはずです。
個々の人をみていかないといけない世界です。
冒頭で出てくるような強制したがる人にはまったく不向きな世界です。
体罰容認の空気のとこで健康科学まなんでも役に立たないような??
どうみても体罰のある学校、それを黙認する空気があるところで健康科学学びたいとはうちは思いませんねえ。お金と時間の無駄だと思ってます。
下村博文文部科学相は24日の衆院文部科学委員会で、「体罰の明確な基準を明らかにしたい」と述べたそうです。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&rel=j7&k=2013012400968時事ドットコム
え??もうでてるようですけど、知らないのか基準じゃないとおもってるのかどうなの??
それとももっと踏み込んだものなの?
資料
生徒に対する体罰禁止に関する教師の心得 昭和24年8月2日 法務府発表
昭二四、八、二 法務府発表
生徒に対する体罰禁止に関する教師の心得
教育法で体罰禁止が規定されているが、最近児童生徒に対する体罰問題がやかましい折柄教師の児童懲戒権がどの程度まで認められるかについて宇都宮少年保護観察所で法務府当局と研究中であったが、二日当局から教師の心得として次の七カ条が明らかにされた。
(1) 用便に行かせなかったり食事時間が過ぎても教室に留め置くことは肉体的苦痛を伴うから体罰となり、学校教育法に違反する。
(2) 遅刻した生徒を教室に入れず、授業を受けさせないことは例え短時間でも義務教育では許されない。
(9) 授業時間中怠けた、騒いだからといって生徒を教室外に出すことは許されない。教室内に立たせることは体罰にならない限り懲戒権内として認めてよい。
(4) 人の物を盗んだり、こわしたりした場合など、こらしめる意味で、体罰にならない程度に、放課後残しても差し支えない。
(5) 盗みの場合などその生徒や証人を放課後訊問することはよいが自白や供述を強制してはならない。
(6) 遅刻や怠けたことによって掃除当番などの回数を多くするのは差し支えないが、不当な差別待遇や酷使はいけない。
(7) 遅刻防止のための合同登校は構わないが軍事教練的色彩を帯びないように注意すること。
② 文科省通知(平成19年2月5日)② 文科省通知(平成19年2月5日)
「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について(通知)」
別紙「学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方」
(抜粋)
懲戒の内容が身体的性質のもの、すなわち、身体に対する侵害を内容とする懲戒(殴る、蹴る等)、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒(正座・直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる等)に当たると判断された場合は、体罰に該当する。
(抜粋)
1 体罰について
(1) 児童生徒への指導に当たり、学校教育法第11条ただし書にいう体罰は、いかなる場合においても行ってはならない。教員等が児童生徒に対して行った懲戒の行為が体罰に当たるかどうかは、当該児童生徒の年齢、健康、心身の発達状況、当該行為が行われた場所的及び時間的環境、懲戒の態様等の諸条件を総合的に考え、個々の事案ごとに判断する必要がある。
(2) (1)により、その懲戒の内容が身体的性質のもの、すなわち、身体に対する侵害を内容とする懲戒(殴る、蹴る等)、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒(正座・直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる等)に当たると判断された場合は、体罰に該当する。
(3) 個々の懲戒が体罰に当たるか否かは、単に、懲戒を受けた児童生徒や保護者の主観的な言動により判断されるのではなく、上記(1)の諸条件を客観的に考慮して判断されるべきであり、特に児童生徒一人一人の状況に配慮を尽くした行為であったかどうか等の観点が重要である。
(以下、省略。抜粋終り。)
参考)文部科学省
体罰に関する文部科学省の対応
学校教育法による規定
体罰については、学校教育法で厳に禁止されている。
学校教育法第11条
校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/07020609.htm
{身体に対する侵害を内容としたり、肉体的苦痛を与えることを内容とする懲戒は基本的に体罰に当たるともうされてるんですね。}
2月15日追記
「体罰を全く否定しては教育はできないと思う。(教える側も)人間性を磨くことが必要であり、古典を読んで歴史を学び、見識を広げてほしい」
伊吹衆院議長は9日、岐阜市で開かれた自民党岐阜県連の政治塾で講演したそうです。
体罰は違反で立証され有罪と認定されると刑事罰です。
刑法違反なんですよ。
この発言刑法違反容認とも受け取れますが・・・。
こんな人が次々出るから戦前回帰政党なんて言われるんですよ。信用できないんですよ。
2月16日追記
なんか漠然と不安に駆られます。
いろんな記事読んでもそれは変わりません。
体罰そのものは基本反対だし、それに違法だそうですし。
でも監視強化厳罰化が好きでないです。密告も・・。
体罰反対の声のどさくさに某党某世論に反対する人がこれらに加担してしまう不安感じます。
通常では刑法違反になる行為(体罰)を容認する議員がいます。
なぜ解任されないのかすごく疑問です。
国歌歌わない公務員(命令違反)の方が体罰(刑法違反)で死に追いやる公務員より罪が重いのはどうみても憲法精神にそぐわないと思います。
監視強化厳罰化密告で、処罰恐れてピリピリするのでなく、
もっと早い段階で「まあまあ・・・」と仲裁入り処分あまりされずに済む方法て?
漠然としてますが
監視強化厳罰化通報制度でなく
1相手への配慮(特にどちらが今まな板にのっているのか?)
2自己犠牲でも自己中でもないものを自分で見出す。
(道徳規律云々で押し付け画一的でない)
こういうの思うんです。
犯罪被害も問題かもしれません。どういうわけか容疑者・加害者攻撃に向かう時だけ被害者心情がもりあがるわけのわからない現象です。
以前「国歌を起立斉唱しないのはけしからん!首だ!」という事件がありました。某党・某世論・某学者を中心に支持が集まったようです。
まあ天皇陛下も「強制はよくない」、当時の総理も「強制はしない」と言ってたので歌わすことに固執するのは滑稽に見えますが・・。
どこかの某知事(当時)も[知事命令に従わない奴は首だ!」と強硬論でした。これもまた支持が・・。
戦前のある日あるところですが
親の形見の大切なミシンがあったんですが地域の婦人連合がお国のために鉄を寄進するということでやってきました。「形見なので」断ると「愛国心が たりない!」とか非難されたそうです。
なんか空気が怖いあゆです。
「従いなさい」といい規律重視で従わないと厳しい罰。
でもさらに不安なのはそれを容認する空気。
「やりすぎですよ」「そのへんでかんべんしてあげましょうよ」という抑止が利かない雰囲気
某自治体の国歌強制
某いじめ
某体罰
みんな同じ匂いが・・
なんか空気が気になるわ~~。
まあこんな風に先日逆らえない空気でいじめ問題取り上げたんですが、今日は違う面で見ようと思います。
某市長がメディアの批判にさらされています。
まあ一個人でなく政治家として批判があるのは健全でしょうけど。
なんかもやもちゃします。なんで???
受験日まで1カ月ないです。受験生にとって自分の進路にかかわる大問題です。
受験生にとってはそれを自分と関係ないところで(自分はカヤの外)決められるなんて・・。
うちならやだわ~
前政権3代の時あれほど「唐突だ!」と批判の大合唱した某世論某党は??
でもある意味で市長さんの言うことも一理あるような。
規律重視で「従え」で上下関係厳しい体罰生みやすい空気はなにも変わっていないように思えます。
この状態で次の生徒いれてもまた起きる可能性は小さくないです。
これ重要ですよ 。
でも「従え!」としてきた人が言うのでなんか説得力がねえ
体罰こそしないものの、重い罰かざして服従させようという点は似てますねえ。
だから裏あるんじゃないかと勘繰りたくなるし・・・
うちは画一的にされ強制されるのは嫌いです。
体罰はまさしく考え方がこういうのが背後にあるように見えます。
でも「全員入れ替え!」もどうかと・・。
かねがね言ってるんですが「右翼的」になり個性をわがままと言わんばかりの感覚になるのはとても危険だと思います。 学校にもいろんな人がいるのがいいと思います。 体罰に限らず同じ匂いのする最初にでききた諸問題にこういう考え方がみえるんですよ。
まあ体罰はともかく熱血先生もいていいと思います。でもいきすぎないように抑制する先生も必要でしょう。 先生以外の人材もいていいでしょう。
妥協??でとりあえず受験はそのままで合格すれば普通科に入れるそうです。とりあえず受験の問題はまあまあクリアーできたようです。
でもスポーツ学びたい生徒が普通科にという問題は残ります。
監視強化厳罰化というわけでないだけましでしょうけど・・・。
なにかいい方法かんがえてほしいです。
そのさい、くれぐれも画一的で個性を尊重しない・強制するとかは、なしの方向でお願いしたいです。
でも「従え!」と言われてる教員にそれできるの?
人に「従え!」といわれるのに慣れた人は人に「従え」というようになるそうですよ。
後は競争行き過ぎが問題と言う声と競争は必要だといいながら競争行き過ぎの声を批判する声です。
え?わけわからないって?
「競争至上主義」の批判と競争至上主義批判を批判するの大きく2つ?
なんかみてたらずれた批判??
まず「競争至上主義とは??」 これがずれてるような。
競争が行けないのでなく行き過ぎが問題という声の方が大きいような。競争一切否定なんてうちは見たことないです。
他方競争抑制の声を批判して競争がいいことだという声。
なんかおかしいわ・・・。
なんか競争はあっていいと思うんですが
て言うか競技スポーツは勝ち負けで競争はつきものですよね。
問題はそれだけが正義としてる点です。
そう原発こそ正義と原発不安の声を強く批判してきた某学者某党某マスコミのような?
競争はあっていいです。
でも競争こそすべて?
競争しなくてはいけないの?
競争にはかならず敗者が出ます。
「自己責任」強調する某党某世論某学者・・。負けたらみじめかも?
競争原理強調すると(能力主義成果主義強調)負けたら勝者に追われます。
勝てない顧問は首となり次の優秀と思われる人に代わります。
プロ野球も競争ですから次々監督変わるでしょ。
教育現場に「競争こそ正しい!」なんて持ち込んだらそりゃいじめ・体罰・パワハラ・差別なんでもおきそう
もう一度念押します。競争はあっていいです。
でも競争こそ正義で競争で起きる問題の声を批判しすぎはどうかと・・・。その批判の空気は不安感じるんです。
某党・某世論・某報道・某学者?に見られる仲間外し思考も不安です。
自分たちの身近に起きた体罰による自殺。自殺に追い込まれた人思いよ~~~~~~~~~くこれから考えてほしいです。もちろん引き起こした人を断罪で解決とか厳罰化で対応というのはなしの方向で。
排除して終わりでなくまな板に乗せられ追い詰められた過酷な状況をちゃんとみてほしいです。
自分には過酷でなくても人には過酷なことがあるんです。そこを見て行ってほしいです。
解体(排除)せずに外部からも人を入れて真面目にみんなで考えてほしいです。
後不思議なのは
対象に「健康科学」があるんですよ。
まじびっくりです。え~~~~~~~~~~ て感じです。
競技スポーツと違いより健康科学は個々の配慮がだいじなんですけど。
根性論はこの分野では否定されてるはずですけど?
科学的検証でこれこれこうですと一般論で習っても、現場では相手みて柔軟に修正していきます。
画一的で押しつけてしたがわないと罰なんていう指導者は失格とおもわれる世界のはず。
どうやったらやる意欲持ってもらえるのか?
楽しい雰囲気あたえられるのか工夫するんですが・・・。
根性論・精神論で暴言・体罰でやる世界とは健康科学は無縁のはずです。
個々の人をみていかないといけない世界です。
冒頭で出てくるような強制したがる人にはまったく不向きな世界です。
体罰容認の空気のとこで健康科学まなんでも役に立たないような??
どうみても体罰のある学校、それを黙認する空気があるところで健康科学学びたいとはうちは思いませんねえ。お金と時間の無駄だと思ってます。
下村博文文部科学相は24日の衆院文部科学委員会で、「体罰の明確な基準を明らかにしたい」と述べたそうです。
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&rel=j7&k=2013012400968時事ドットコム
え??もうでてるようですけど、知らないのか基準じゃないとおもってるのかどうなの??
それとももっと踏み込んだものなの?
資料
生徒に対する体罰禁止に関する教師の心得 昭和24年8月2日 法務府発表
昭二四、八、二 法務府発表
生徒に対する体罰禁止に関する教師の心得
教育法で体罰禁止が規定されているが、最近児童生徒に対する体罰問題がやかましい折柄教師の児童懲戒権がどの程度まで認められるかについて宇都宮少年保護観察所で法務府当局と研究中であったが、二日当局から教師の心得として次の七カ条が明らかにされた。
(1) 用便に行かせなかったり食事時間が過ぎても教室に留め置くことは肉体的苦痛を伴うから体罰となり、学校教育法に違反する。
(2) 遅刻した生徒を教室に入れず、授業を受けさせないことは例え短時間でも義務教育では許されない。
(9) 授業時間中怠けた、騒いだからといって生徒を教室外に出すことは許されない。教室内に立たせることは体罰にならない限り懲戒権内として認めてよい。
(4) 人の物を盗んだり、こわしたりした場合など、こらしめる意味で、体罰にならない程度に、放課後残しても差し支えない。
(5) 盗みの場合などその生徒や証人を放課後訊問することはよいが自白や供述を強制してはならない。
(6) 遅刻や怠けたことによって掃除当番などの回数を多くするのは差し支えないが、不当な差別待遇や酷使はいけない。
(7) 遅刻防止のための合同登校は構わないが軍事教練的色彩を帯びないように注意すること。
② 文科省通知(平成19年2月5日)② 文科省通知(平成19年2月5日)
「問題行動を起こす児童生徒に対する指導について(通知)」
別紙「学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方」
(抜粋)
懲戒の内容が身体的性質のもの、すなわち、身体に対する侵害を内容とする懲戒(殴る、蹴る等)、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒(正座・直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる等)に当たると判断された場合は、体罰に該当する。
(抜粋)
1 体罰について
(1) 児童生徒への指導に当たり、学校教育法第11条ただし書にいう体罰は、いかなる場合においても行ってはならない。教員等が児童生徒に対して行った懲戒の行為が体罰に当たるかどうかは、当該児童生徒の年齢、健康、心身の発達状況、当該行為が行われた場所的及び時間的環境、懲戒の態様等の諸条件を総合的に考え、個々の事案ごとに判断する必要がある。
(2) (1)により、その懲戒の内容が身体的性質のもの、すなわち、身体に対する侵害を内容とする懲戒(殴る、蹴る等)、被罰者に肉体的苦痛を与えるような懲戒(正座・直立等特定の姿勢を長時間にわたって保持させる等)に当たると判断された場合は、体罰に該当する。
(3) 個々の懲戒が体罰に当たるか否かは、単に、懲戒を受けた児童生徒や保護者の主観的な言動により判断されるのではなく、上記(1)の諸条件を客観的に考慮して判断されるべきであり、特に児童生徒一人一人の状況に配慮を尽くした行為であったかどうか等の観点が重要である。
(以下、省略。抜粋終り。)
参考)文部科学省
体罰に関する文部科学省の対応
学校教育法による規定
体罰については、学校教育法で厳に禁止されている。
学校教育法第11条
校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/07020609.htm
{身体に対する侵害を内容としたり、肉体的苦痛を与えることを内容とする懲戒は基本的に体罰に当たるともうされてるんですね。}
2月15日追記
「体罰を全く否定しては教育はできないと思う。(教える側も)人間性を磨くことが必要であり、古典を読んで歴史を学び、見識を広げてほしい」
伊吹衆院議長は9日、岐阜市で開かれた自民党岐阜県連の政治塾で講演したそうです。
体罰は違反で立証され有罪と認定されると刑事罰です。
刑法違反なんですよ。
この発言刑法違反容認とも受け取れますが・・・。
こんな人が次々出るから戦前回帰政党なんて言われるんですよ。信用できないんですよ。
2月16日追記
なんか漠然と不安に駆られます。
いろんな記事読んでもそれは変わりません。
体罰そのものは基本反対だし、それに違法だそうですし。
でも監視強化厳罰化が好きでないです。密告も・・。
体罰反対の声のどさくさに某党某世論に反対する人がこれらに加担してしまう不安感じます。
通常では刑法違反になる行為(体罰)を容認する議員がいます。
なぜ解任されないのかすごく疑問です。
国歌歌わない公務員(命令違反)の方が体罰(刑法違反)で死に追いやる公務員より罪が重いのはどうみても憲法精神にそぐわないと思います。
監視強化厳罰化密告で、処罰恐れてピリピリするのでなく、
もっと早い段階で「まあまあ・・・」と仲裁入り処分あまりされずに済む方法て?
漠然としてますが
監視強化厳罰化通報制度でなく
1相手への配慮(特にどちらが今まな板にのっているのか?)
2自己犠牲でも自己中でもないものを自分で見出す。
(道徳規律云々で押し付け画一的でない)
こういうの思うんです。
2013-01-28 15:05
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平等を唱える人たちに、競争は差別を生むと
間違った論理が流行ったことがありました。 向上心も否定されている
って 感じましたね。 競争ばかりでは ダメですよね。
学校の体質を変えるには、教師を換えるのが 効果的だと思います。
でも機構上 全員換えては回りません。 問題の教師、その関係者など
部分的に換えるのが良策と考えます。
by aya (2013-02-02 22:56)
ayaさんコメントとナイスありがとうございます。
世の中いろんな人がいます。競争で向上する人もいればそうでない人も。
一部の声除き「競争こそ正しい」という空気が不安です。
うちは競争がいい悪いという論争が好きじゃないです。
競争してもいいけど、しなくてもそれなりに生きられるようになればと思うんです。
by ayu15 (2013-02-05 08:57)
皆様ナイスありがとうございます。
競技スポーツには勝敗はつきものかもしれませんが、それは必ずしも一つではありません。
学校はプロスポーツの現場とは違うと思います。
そのあたり考えてほしいです。
by ayu15 (2013-02-05 09:00)
「ルール」という言葉が以前よりも力を持ちすぎているようでこわいです。「ルールなんだから守ろう」などと、大学生でさえ平気で言っています。既存のルールを疑って、ヘンだなと思ったら新しい考え方を持ち込むのが若者の常だと思っていましたが、昨今はそうでもないようで・・・。考えてしまいます。
by mai (2013-02-08 08:41)
maiさんひさびさにありがとうございます。うれしく思います。
前書いたんですが、、某大学ですが文芸?サークルの人達が言ってたんですが、「自由は不安だ」と口々にいうんですよ。
もちろん学生がそういう人ばかりというわけじゃないですけど・・。
by ayu15 (2013-02-09 10:35)